June 25, 2012

スピノザの神

誰も見てない事象は存在するのだろうか。
誰も見てない場所は存在するのだろうか。

例えば、ある時刻に
地球上の誰一人として月をみていなかったとしたら、
その瞬間、月は存在しているのだろうか。

一瞬でもそんなときがあったならば
少なくとも地球人にとって月は存在しなかったに等しい。

次の瞬間、誰かが月を見たとして、
果たしてその月はさっきまでの月と同じものだろうか。

何かの事象の時間的な連続性というのは
それを誰かが見ていることがおよそ前提となっているが、
それは必ずしも保証されていない。

ならば、誰も見ていないものは存在しないと考えた方が
事態はより単純化しないだろうか。
オッカムレーザーの考え方にもあうのではないか。

量子力学の考え方では、
誰も観察していない場合は存在する確率としてみるのだけど
それは、有るか無しかのいずれかということではなく、
有るし無いという2つの状態が共存していることだという。

これは何も決められない優柔不断な考え方だと思えるけど、
その確率という数字はコレと決まる値が出てくるので
その意味では確定的にモノをいっていることになる。

ただ、そのいずれかの状態しか観察することができない
私たち人間の頭脳には直感的に合わないということ。

実は人間の感覚にはかからないような状態が
この世界のバックグラウンドにあるのではないかという話は
SF界隈だけでなく物理学の世界でも多く語られている。

存在とは何か。その連続とは何か。

古来からそのような疑問は哲学とされてきたが、
何かを繰り返し観察することが大前提である科学の世界で
その観察の主観たる思考や人間の心といったところが
極力避けられているというのも滑稽な話である。

それはさておき、やはり目に見えて存在しているものは
時間的にも連続していると考えるものである。

それは誰も見ていなくても存在している。
そうでなければならないと私たちは直感している。

では、もしそうではなかったら。

つまり、本当は時系列で繋がってなどいない。
因果関係があると我々が思い込んでいるこの世界は
実は不連続な事象が無造作にあるだけだとしたら。

その場合、なぜ我々がその世界を連続的であると感じるか
そこの疑問を解消しなければならない。

例えば、人は何故、昨日の自分と今日の自分を
同じ自分という人間であると認識しているのだろうか。

それに実は何の根拠もない。

というより、根拠を必要としない自明な事実であると
少なくともそう思い込んでいる。

意識が続いている間の連続性は
周囲にも認識されることである程度の保証を得ているが、
基本的に自我の連続性は自己完結している。

ただ、例えば深い睡眠や全身麻酔などにより
その意識に不連続な空白が生じる場合もある。

その場合も、自己以外に拠らず
その前後の自分を同じ自分であるという認識で接着している
その役割を果たしているのは、他ならぬ記憶である。

ただ、その記憶とはいかにも曖昧で
それが都合によって変化しやすいものであるということを
実は私たちは知っているのではないか。

もしかすると、寝る前と起きたときの意識は
全くの別人であるのかもしれないのだが、
人はそれを露ほども疑わないのは、実は不思議な話なのだ。


「私は、人間の運命や行動に関わる人格のある神よりも、
 世界の秩序ある調和の中に現れるスピノザの神を信じる」

というアインシュタインの言葉を見て思ったことを書いたら、
ちょっと星新一みたいになってしまったでござるの巻。

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January 25, 2012

ゆめ?うつつ?

夢と現実を区別することはできない

とは、昔からいろんな哲学者がいってきたことだけど
こういう理由はどちらも私たち人間の認識であるから。
つまり、どちらも脳という器官が見ている世界だから。

では、なぜ人は、現実を現実らしいと認識し、
夢は夢らしいと認識することができるのか。

実はこちらの方が不思議な話だったりする。

現在の常識からすると、
夢も現実も同じく脳が経験するものであるはず。

この違いは、仮に夢が脳内のみで起こっている経験で
現実は外部からの刺激による経験であるとするなら、
夢の中にはその脳にとって新しいものがないということ。

つまり、夢の中では全く新しい経験をすることがない。

それは、現実とされる世界で脳が体験したことを
脳内で再構成し、様々な組み合わせで再生していると。

喩えるなら、現実は新しい光景を録画するビデオカメラで、
夢はそれを再生するプレイヤーということ。

ただ、かなりデタラメに編集して再生するプレイヤーだが。

しかし、これでそもそもの疑問が解決するわけではない。
結局、脳が経験したり想像したりするものであるという点は
夢も現実も何ら差がないから。

このカメラとプレイヤーを区別しようと試みているのも、
結局のところそういう思考の主体である脳なのだ。

ときどき、脳は、実際にはなかった出来事を
過去に経験したかのように記憶していることがあるという。
つまり、無意識に記憶が捏造されている。

これはそんなに特殊なことではなく、
些細な記憶の改変は、実は日常的に起こっているだろう。

好印象だったものを好きになろうとする記憶の美化や、
自律神経失調症に陥るくらいに誇張されるトラウマなど、
正にも負にも記憶はつくり変えられる。

いや、記憶自体はそのままなのかもしれないが、
それをどう感じるかという点が様々に変化しているのか。

いわゆるデジャヴ(既視感)という現象があるが、
これは、初めて見る光景であるはずなのに
過去にどこかで見たことがあるようなあの感覚。

まず、それが記憶由来なのか感覚由来(錯覚)なのか
それが判然としない。

見たことがある、と感じるということは
脳が過去に何らかの形で経験し記憶している索引のどれかに
今まさに経験していることがヒットしているということになる。

その経験というのは、夢の中のものであったかもしれない。

夢の中の経験は、
それ以前に現実で経験したものを再構成した経験なので
現実における他人(客観)にとっては架空のものだが、
当該の脳自身にとっては過去の経験に違いはない。

その光景に近いものを見ると
ゆわゆるデジャヴになるではないかと考えることもできるが、
それでも何か違う感覚という気もする……


いえ、この間ですね、近所の道を車で走ってるとき
いつも通ってるはずの交差点に差し掛かったところで
「あれ?これ前にもあったぞ」となったんですよ。

いや、そんなの確実に前にもあったというか、
いつも走ってる道なのでそんなの当たり前の話なんですが、
そうじゃなく、その見た光景全体が、というか。

信号の位置とか、前を走ってる車や交差点での対向車とか、
向かいに見えているショッピングセンターの看板とか
そのときハンドルを握ってる自分の存在とか…

もうそれらの感覚全部が一瞬だけ何かに一致して
「んっ?」と思った瞬間、すぐに普段の感覚に戻ったというか。

それが夢で見たような、もっとずっと昔に経験したような。
でも、その光景がずっと昔であるはずはないわけで。
(例えば、そこで見た看板はつい昨年できた店舗のもの)

まぁ、これがデジャヴというものなんでしょうけど
そういう用語があるということは私だけのことじゃないわけで
こういう感覚になる人は他にもいるってことなんすよね。


多分ね、これは、脳中心じゃないんすよ。

思考とか認識とか感覚とか記憶とか
そういうものを司ってる中枢は脳だと思われているけど、
実は違うのだ。

もっとこう、モヤッとしたクラウドみたいなものなんじゃないか。

何と古典的な!と思うだろう?

精神とか霊魂とかって昔からモヤッとした対象なんだけど
ここはひとつ原点回帰ってことで。(何がここはひとつだ)

他人の経験が自分の中にさり気なく入ってるとか。
逆に、自分の経験が他人の中に潜り込んでるとか。

てか、もう自分とか他人とか、そんなスタンドアロンではなく
記憶装置はどっか別のサーバにあるんじゃないか。

そもそも、自分の記憶がずっと連続して持続している
という時間的な感覚も実は思い込みかもしれないし、
昨日は今の自分ではなく他の誰かだったのかもしれない。

そして、それを反証なしに否定する根拠も実はない。

これって映画マトリックスか。

カテゴリ的に脳科学か分子生物学なのかわからないけど、
そのへんも天動説と決別せにゃならん日がくる気はしますね。

もしかすると、惑星運動の謎に地動説が解を与えたことと
デジャヴの謎は通じてるかもしれないよ?

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January 12, 2012

役に立つ、立たないではないのである

俗物が大好きな今時の世間の人々に
是非とも紹介しておきたい一節がここにあるのです。

- 前略 -

科学の価値としてもうひとつ考えられるのは、知的な喜びです。人によっては科学について読んだり学んだり考えたりすることを楽しむ人もあり、その研究に没頭することにこの上ない喜びを感じる人もあります。いやしくも科学者たる者は科学が社会に及ぼす影響を、真剣に考える必要があるといって説教する人は、とにかくこの点に注意を払わない傾向がありますが、実はこれは非常に大切な点なのです。

- 中略 -

科学に関係のない人々の中には、このような科学的神秘に関する、いうなれば「宗教的」体験ができる人が少ないのは事実です。詩人はなぜかこの素晴らしい経験を謳おうとはせず、芸術家もそれを描こうとはしませんが、いったこの現在の宇宙の姿に心をうたれる人はいないのでしょうか?

- 中略 -

このような沈黙の一つの理由は、符号の読み方を知る必要があるからなのかもしれません。たとえば科学の記事を読んでいて「ネズミの大脳の放射性リンの量は、二週間で半減する」という文章にぶつかったとしましょう。さて読んでみたのはいいが、いったいぜんたいどういう意味なのでしょうか?

それは現在のネズミの脳、そして僕やみなさんの脳の中にあるリンは、二週間前のリンとは異なっているという意味です。脳の中の原子は絶えず入れ替わっていくもので、前にあった原子はもう残っていないということなのです。

ではいったい僕ら人間の頭脳をなす意識をもったこの原子とは、いったい何なのか?それは先週食べたイモ!いやつまり先週食べた食物の原子なのです。しかもこの原子どもはもうとっくにすっかり入れ替わってしまっているというのに、一年前に僕の頭の中で起こっていたことをちゃんんと覚えているのですから、まさに驚異というほかありません。

- 中略 -

このことを新聞で読むと「学者の談話によると、これはガンの治療法の研究にとって重要な発見である」などと書いてあります。どうやら新聞はそのアイデア自体ではなく、その用途にしか興味がないもののようです。そのアイデア自体がどんなに重要で、どんなに驚くべきものであるか、それを理解する人はほとんどいません。

---
『聞かせてよ、ファインマンさん』
R.P.ファインマン, 大貫昌子・江沢洋[訳] / 岩波書店 より抜粋

長いか?

いや、これでもだいぶ割愛してますけどね。
読んだことのない方は、是非この本の全文にあたって頂きたい。

これは、同書の中の「科学の価値とは何か」と題され、
ファインマン氏がその“価値”として3つあげているうちのひとつとして
紹介しているくだりの抜粋です。

あと2つは、科学によって様々なものをつくることができたことと、
人類は科学によって多くの知識が得られたということ(ざっくりですが)
という、おそらく一般にも理解されやすいだろう話。

ただ、上記抜粋部分の価値についてはなかなか理解されない。

要するに、生きるのに不要な知識なぞ基本的に不要である
という、非常に潔い思考回路によって切り捨てられやすい
いわゆる知的好奇心なり知的欲求というあたり。

これがあるから人間は他の動物とは違うんだ
といえるとても大切な部分のひとつだと思うんだけど、
世間ではこの価値がだいぶ蔑ろにされてると思う。

二番じゃダメなんですか?とかいってる人にはわからんでしょうが
今の科学文明の原動力はもともとこういうところにあるのだよ。

ビジネスになるとか生活が便利になるとか、それも大事ですけど
そういうのは本来サイエンス活動の副産物なのであって、
知的成長を考えた動きというのはもっとあって良いと思う。


…と、帰省の飛行機内でカバンの中に入れっぱなしになってた本を
何となく読み返しながら思ったのでした。

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September 25, 2011

超光速!?

ニュートリノの速度は光の速度より速い、相対性理論と矛盾 CERN
(afpbb.com)

きたか…!!

  ( ゚д゚ ) ガタッ
  .r   ヾ
__|_| / ̄ ̄ ̄/_
  \/    /

100年ぶりに科学のパラダイムシフトとなるか?

みたいな雰囲気ではあるけど、
そのニュートリノとやらが光速を超えちゃいけないのか?
というのがシロウトの素直な感想なんじゃないですかね。

まぁ、光速を超えちゃいけないことになっている。

厳密にいうと、ニュートリノに限らず
質量を持つ物質が光の速さを超えて移動することはない
というのが、アインシュタイン博士が提唱した
特殊相対性理論の前提の1つになっていると。

その光の速さは大体秒速30万kmだとされてるけど、
これはどんな速度で移動している人から観察しても
常にこの値、秒速30万kmで変わらないという。

この光速は理論の中に定数として組み込まれていて、
有名な E = mc2 という式の c も光速ですね。

当然、アインシュタイン方程式にもこの c は入ってるし
量子力学や電磁気学の方程式にも定数として組み込まれてるし、
定数を導く定数としても使われている。

質量のあるモノの速度が光速 c を超えちゃったとき
最も端的にその破綻をみられるのが、
移動する物体の質量が速度に応じて変化するときの式。

質量 m の物体が速度 v で移動するときの質量 mv

Fig04

とされてます。

通常、v は光速 c に比べて非常に小さいので分母はほぼ 1 で、
m とmv はほとんど同じになります。

注目すべきは、分母の平方根の中、速度 v2 を光速 c2 で割ってるというところ。

この v が c と同じ(物体の移動速度が光速と同じ)になったとき、
これってどうなりますか。

平方根の中身が 1 - 1 = 0 でゼロ除算になってしまい、
mv は無限大になってしまう。

では、v が c より大きい場合、どういうことになりますか。

平方根の中身が負になりますね。
2乗して負になる値って何?といったら虚数が登場してくる。
さて、分母が虚数ってどんな値ですか。ひいてはその質量って?

これが質量のあるの物体は光速を超えられないといっている理由。

まぁ、それだけ光速というのは特別なもので、
その光速を超える速さで移動する物質はない、ということも
あらゆる理論の土台になっている考え方ってこと。

質量がない光と、質量を持つ物質の扱いが
今の物理学の中では全く異なるということでもあるよね。

ということは、もし質量を持つ物質が
この光速 c よりも速かったりした日にゃどうなるか?

だから今、大騒ぎになってるんですな。ホンマかいなと。

観測が間違っているか、機器の不具合じゃないかとか、
実はやっぱりニュートリノに質量なかったんじゃね?
疑惑とかもあったりしますが、もし観測が正しい場合、
どういう落とし所に持っていくのがが注目される。

それでも相対論が正しいとするなら、
実際に虚数の質量というのを考えなきゃならないのか。
相対論に別の新しい解釈を加えることになるのか。

そもそも、宇宙を4次元時空の座標系で捉えようという
考え方そのものが間違っているのか。
相対論が間違っているなら、
じゃあそれに変わるもっとイカした理論はあるのか。
またはそれをこれから構築しなきゃならないのか。

相対論で肯定や否定をされていた
様々な物理事象をまた一から考える必要があるのか。
巷で騒がれてるように、
タイムマシンや空間ワープなんてこともできるかも?

…と、ネタは尽きない話題ですな。


こういうことがあるからサイエンスは面白い。
現実は小説より奇なり。リアルに勝るドラマはないですよ。


## OPERAのプレスリリースはこちら。
OPERA experiment reports anomaly in flight time
of neutrinos from CERN to Gran Sasso

(cern.ch)

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March 22, 2011

放射能メモ

自分的メモ。内容の正確性は保障なし。


○放射能の単位はシーベルト?ベクレル?

純粋な放射線の量を表すのがベクレル(Bq)。
生物の被曝の大きさを表すのがシーベルト(Sv)。

放射線自体は、地球上の生物は日常的に浴びている。
一般人が浴びてOKとされているのは年間1ミリシーベルト。
(ICRPの勧告)

ちなみに、胸部X線撮影1回で大体0.1ミリシーベルト程度
浴びることになるらしい。


○政府や東電の発表する数値は信用できる?

信用するしかない。

てか、原発直近はまだしも、周辺地域や遠隔地であれば、
民間の研究機関や個人でも放射線は容易に測定できるので
ウソついてもすぐバレる。


○何で放水とかしてるの?意味あるの?

炉が溶けるとヤバイので、冷却のため。
あと、使用済み燃料保管プールへの注水。

放置よりはだいぶマシと思われる。


○放水したら放射線の量が減ったらしいけど?

放水で放射能が減ったのは、原子炉の方ではなく、
使用済み燃料プールからの放射線が減ったのかと。

使用済み燃料は原子炉脇に置かれているプールで
水につけて保管されてるが、地震で循環システムが壊れて
その水が枯れてきてるので、そこに水が足された効果か。


○もっとマシな方法はないの?

電力が回復すれば、冷却水の循環ポンプを復旧させて
より安定的に冷却できるようになるらしい。


○セシウム137、ヨウ素131って何?

ウラン238の核分裂時に放出される放射性物質。
いずれも、地上では自然に存在することは少ない。


○どっちがヤバイ?

放射能のレベルでいえばヨウ素131の方が格段に大きい。

ヨウ素131 → 1Lあたり、約6ベクレル程度
セシウム137 → 1Lあたり、0.02ベクレル程度

ただ、ヨウ素131の半減期は約8日と比較的短いのに対し、
セシウム137は30.17年と長い。

放射能汚染などで長期に残り続けるのはセシウムの方。


○ヨウ素をガブ飲みすれば被曝を防げるらしいよ?

飲んで放射線予防できるというのはヨウ素127。
131が放射性同位体なのに対し、127は安定同位体。

放射性ヨウ素を生体に入ると甲状腺に蓄積されて、
甲状腺機能の低下、或いはがんの原因になるとされるが、
あらかじめ無害な安定ヨウ素を取り込んでおくことで、
放射性ヨウ素を取り込まないようにする効果はある。

が、その効果が期待できるのは、医師などが処方する
純粋な安定ヨウ素剤などであって、ヨウ素を含むから
といってイソジンとか飲んでも効果ゼロ。


○原子炉が溶けるとどっちが出てくる?

どっちも出てくる。

ただ、セシウムは半減期が長いので、
原子炉でなく使用済み核燃料プールの方からも出る。

ヨウ素は半減期が短いので、それが出ているということは
原子炉側からの放出と考えられる。

原因は、原子炉内圧を減らすためのガス抜きによるものか、
そうでなければ炉自体の破損の可能性もある。


○逃げる?

もう面倒くさいので、逃げない。

駄目なら駄目で、私の運がなかったってことにする。


…てことで、関係者のみなさん、ぜひ頑張ってください。

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June 13, 2010

はやぶさ

探査機「はやぶさ」が地球に戻ってきますね。

ここにきてえらい話題になってるので、
この機に宇宙開発の啓蒙記事でも書いてみようかと。

とりあえず、こんな方面の事業を仕分けで削るな!と。

もちろん、無駄の多そうな科学研究というのも
結構あったりするんでしょうけど(産○研とか?)
生活に直接関係ないからという理由で切るのだけは
勘弁してくださいってことですね。

で、件の「はやぶさ」。

これは2003年の5月に宇宙科学研究所(ISAS)から
打ち上げられた工学実験機とされています。

実際は小惑星探査機なんですが。

そう、NASDAとISASとNALが統合されてJAXAになったのが
2003年10月なので、その前に上がった探査機なんですね。

ロケットもM-Vで、NASDAのH-II系とは別系統。

このへん、当時の科学技術庁と文部省の縦割りのせいで
開発が別々に行われてた不合理もあったんですが、
そのへんJAXAになって改善されたんですかね。

M-Vロケット自体は廃止されてますが、
技術の一部はH-IIA、H-IIB系に引き継がれてるとのこと。

とにかく、2003年に打ち上げられた当初の予定では
はやぶさは2007年6月に地球に戻ってくるはずでした。

それが、様々なトラブルに見舞われて
一度は地球への帰還も絶望視されてたんだけど、
奇跡の復活を遂げたわけですね。

はやぶさの主なミッションは、

  1. 電気推進の実証実験
  2. 自律型探査の実証実験
  3. 小惑星からのサンプルリターン
  4. 地球帰還

とされてます。

1は、従来の惑星探査機は、化学燃料を使った
ロケットエンジンで推進するのが一般的だったんだけど、
その場合、燃料が重いのと、燃費が悪いのが最大の課題。

どちらも直接コストに響いてくる話で
重量に関しては1kgにつき1億円増えるともいわれてます。

それを解決するのが電気推進というやつですね。

イオンエンジンといわれてますが、
これはキセノンガスを電離させてプラズマ状態にした後
高電圧をかけて噴射し推進力にするという技術。

当然、その加速力はロケットエンジンに劣るけど
燃費も良く、燃料も化学燃料に比べてはるかに軽いので
長期間の宇宙航行には非常に向くといえそうです。

2の自律探査というのは、
探査機を地球から遠隔操作して探査するのではなく、
その名の通り、探査機が自分で判断して現地探査をする
ってことですね。

はやぶさの調査対象である小惑星「イトカワ」は
地球から平均3憶km離れた位置を周回しているので、
その通信に片道約10~20分はかかる。

そんな状態でのリアルタイム操作は難しいので、
いっそ探査機に任せてみてはどうか、という話ですね。

はやぶさには、惑星探査用のカメラやセンサ以外に
航行用カメラ、レーザ高度計、近距離センサ、衝突防止用センサなど
自律航行するための機器もたくさん搭載されていて、
これらを駆使して、小惑星に接近、着陸、サンプル採取、離脱
という一連の作業ができるようになっている。

流れとしては、
まずレーザ高度計を使って上空100m程度まで接近した後、
サンプル採取地点にターゲットマーカといわれるボールを撃ち込み、
そのマーカの位置を航行用カメラで捉えながら、
近距離センサで地表の様子を探りつつさらに接近して、
衝突防止センサで慎重に距離をみながら着陸、
地表に金属球を撃ち込んで粉砕し破片を採取(ここ約1秒間)、
採取したらエンジンを起動して上空10kmまで上昇。

以上を2、3回繰り返す。

実際、1回目の接近では予定と異なる動きをしていた
(上昇中のはずが下降していた)ということで、
急遽上空100kmまで戻す命令を出して失敗。
(実はこのとき、はやぶさは着陸に成功していたらしい。)

2回目、今度は予定通りターゲットマーカに接近し、
金属球射出、サンプル採取まで上手くいった
という信号が送られてきたのだけど、もしかすると
これが上手くいってない可能性もある、とのこと。

でも、これを全部自動でやるってだけで、スゴイですよ。

成功してるに越したことはないけど、
たとえ失敗してても、これだけのシーケンスを自律制御
するようなプログラムってだけでもスゴイと思うなぁ。

ちなみに、この直後にエンジントラブルに見舞われて、
予定していた地球帰還ができなくなったんですね。

そして3のサンプルリターンというのは、
地球外の天体の岩石などのサンプルを採ってくる、てこと。

この打ち上げ時点で、サンプルリターンをやってたのは
アメリカのアポロ計画で月のサンプルを持ち帰ったのと、
旧ソ連のルナ16号が、同じく月のサンプルを回収したくらいで、
はやぶさは、それ以来のサンプルリターンになるんですね。

しかも、月どころか、地球重力圏外の小惑星から!

ただ、その採取が上手くいってるかどうかは
上の2が上手く行ってれば、ってことになるわけですが。

で、最後の4、地球帰還の成功はほぼ確実でしょう。


これらの大きな4ミッション以外にも
はやぶさはいろんな最先端技術の成果をあげてます。

地球重力を使ったスウィングバイ航法。
小惑星イトカワの写真撮影を含めた科学探査。
そのイトカワへの着陸。

何より、2007年に帰還予定だったものが
エンジントラブルなどで計画続行が一旦絶望されながらも、
再帰を果たして地球へ帰ってきた!ということだけで
十分誉められて良い成果なんじゃないかと思いますね。

だって、3年間も、ずっとひとりぼっちで、暗い宇宙空間で
ずっとセーフモードで耐えてたわけですよ?

けなげじゃないですか!(そういう話じゃないって)

そんなはやぶさも、今夜11時頃に地球へ到着します。
何度もトラブルに遭いながら満身創痍の帰還です。
ホントお疲れ様でした、ですよね。

今後、はやぶさ2の計画もあるみたいだけど、
今回の経験はかなりその糧にもなるはず。

今は経済状況がこんなで、科学研究方面の予算が
えらく蔑ろにされがちなのが一番の不安ではありますが
何とか今後も頑張ってもらいたいものです。

今の時代、国のやってることで夢を見られることなんてのは
もうこのへんくらいだもんなぁ。

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March 27, 2010

ポアンカレ予想

解けた!(by あんどうりんご)

「ポアンカレ予想」は解決 露の“隠遁数学者”に注目集まる
(sankei.jp.msn)

ポアンカレ予想は、いつかNスペか何かでドキュメントやってて、
これが正しいことの証明をした学者は、何か頭がおかしくなって
(…なんて書いたら問題があるか。ほとほと疲れて?)
今は消息不明、みたいな話だったと思うんですが。

とにかく、この問題は解決!と認定されたわけですね。

ポアンカレ予想というのは、フランスの学者ポアンカレによって
20世紀の初め頃に提案された数学的予想で、Wikipedia などを見ると

 『単連結な3次元閉多様体は3次元球面S3に同相である。』

なんて書いてある。はて、何のことやら。

ザックリいうと、
「単連結」というのは、切れ目なく連続しているつなぎ目のことで、
「3次元」とは、3軸(縦、横、高さ)で位置や形が表せるということで、
「閉」というのは、開いていない、穴が開いていないということで、
多様体というのは、要するに図形のこと。

つまり、“単連結な3次元閉多様体”とは、
“穴が開いてない立体”ってことですな。ざっくり過ぎか?

で、“3次元球面S3”というのは、
要は、3次元の球の表面、つまり“球面”ってこと(まんま)。

“同相”というのは、位相幾何学(トポロジー)で
お互いに同じ図形とみなせる、ということ。

トポロジーというのは、これもイメージの話になるけど、
その図形にある穴の数が同じなら、図形としても同じである
とみなすような幾何学。(→ Wikipedia - 位相幾何学

よく喩えられるのは、
ドーナツと取っ手が1つあるマグカップは同じ図形である
ってやつですね。

どちらも、穴は1つなので。

で、件のポアンカレ予想は、
穴が開いてない立体と球面は(トポロジー的に)同じ図形だろう?
といっている。

専門家から苦情がきそうな説明だけど、
シロウトが理解するには、こんな程度に書き下すしかないでしょう。

穴が開いてない立体というのは、その周囲を紐のようなもので
ぐるっと1周巻いて、それをひっかからずに1点に手繰り寄せられる。

これが、例えばドーナツのような形をした(穴がある)立体だと、
巻いた紐が穴にひかかって、1点に手繰り寄せられない。

そのような図形は、いわゆる球面しかないだろう、という話ですな。

これは、同じ3次元空間として理解される宇宙にもいえて、
宇宙が閉じた3次元空間であれば、それは球面に同じだ、と。

これもよく喩えられるのが、
地球から無限に長い紐を括りつけたロケットを発射して、
そのまま宇宙をぐるっと1周して地球に帰ってきたとき、
その紐の両端を引っ張って全部地球に手繰り寄せることができれば、
宇宙は(トポロジー的に)球といって良いだろう、という話。

つまり、ポアンカレ予想が正しくて、かつ宇宙が閉じていれば、
宇宙を幾何学的には球として扱うことができるということで、
つまり、問題がえらく単純化できる、てことになるのか。

ただ、宇宙は多分閉じているだろう、とはいわれてるけど
その真偽は定かではないので、宇宙論への発展はその解答を待ってから
ということになるんでしょうかね。

しかし、実際にそんなロケット飛ばすわけにもいかないし、
どうやって確かめるのやら。

むしろ、宇宙論の問題はそっちの方ですよね。


紐で思い出した。

全然関係ないかもだけど、私はウォークマンのイヤホンを
コードを巻いてポケットや鞄の中に突っ込でたりするんですが、
それを取り出して両耳のイヤホンを引っ張ると、
99.9999%くらいの確率でほぼ結び目ができるんですよね。

そりゃあそうだろう?と思われるかもしれませんが。

何でそうなるんだろうって、いつも思ってたんです。

別に、結び目ができてイラッとして理不尽な疑問を呈している
ってわけじゃないですよ。

いや、それもちょっとはあるけど。いや、大分あるけど。

これ、原因は、巻いてるから、でした。

巻かないで、単にくしゃくしゃっとダンゴ状態にして
ポケットなりに突っ込めば、それを取り出して伸ばしたとき
あまり結び目ができることはない(たまにはできるけど)。

巻くとコードに輪ができて、
その輪をイヤホンが1度でもくぐってしまうと結び目ができる。

何かこれ、ポアンカレ予想ほどではないけど、
ひとつの深遠な真理かもなぁ、なんて思えてきませんか。

思えませんか。そうですか。


素直にコードを巻き取れるイヤホンを買えばいいんだな。
もしくは、コードレスか。

私が今使ってるイヤホンは980円の安物なんですが、
コードレスは高いですよね。Bluetooth とか。


ちなみに、ポアンカレ予想はミレニアム賞の対象で、
解決できたらクレイ数学協会から100万ドルの賞金が出るんだけど、
解いたペレルマンさんはいらないといってるらしいですね。

ある真理を極める為にいくとこまでいくと、
もうお金とか名声とか名誉とか、そんな世俗の価値なんか
どうでもよくなるのかもしれませんね。


もし100万ドルも貰えたら、5000円とか1万円とかするような
Bluetoothヘッドセットでもサクッと買っちゃうのになー
なんて思ってる私なんか、真理から程遠いんでしょうな。

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May 15, 2009

科学ファンタジー

その老人に出会ったのは、 天山山脈の中腹のなだらかな草原だった。

アインシュタインの写真を見せると、老人はいった。

「自分がまだ少年だった頃、今と同じように羊を見ていると、
 この男がやって来た。」

アインシュタインと少年は何を話したのだろう。

老人の記憶はおぼろげで、なかなか答えが返ってこない。

ようやく彼は思い出したようにいった。

「石の話をした。石はなぜ落ちるのかと、聞かれたような気がする。」

重力の話に違いない。

「何と答えたのか。」

と聞くと、老人は
さっきからこちらをみている少年を指差していった。

「わしの孫にきいてくれ。」

「あなたに聞きたいのです。」

私は迫ったが、老人はいう。

「誰でも答えは同じさ。」

そこで、私は少年にきいた。

「なぜ、石は落ちるの。」

少年は答えた。

「石が落ちたがっているからだよ。」


( NHKスペシャル「アインシュタインロマン」より )

人は直感で何かを知る、ということがあります。

その裏づけや根拠は何もないのだけど、
そう知覚する、感覚する、といった方が良いかもしれない。

かつての数学者フェルマーは、自然数 n が 3 以上のとき
xn + yn = zn となる 0 でない自然数 x, y, z は存在しない
と直感した。

その論理的証明は、フェルマー自身の手によって
示されていたともそうでないともいわれているけど、
おそらく、彼がそれを思いついた時点で、彼の頭の中に
その論理的、数学的なロジックがあったとは考えがたい。

とにかく「そう感じた」のではないか、と。

数学の様々な公式や定理も、
物理学やその他の様々な自然科学における法則も、
最初から論理的に導かれたものがどれだけあるか。

その多くは、まず先立って、直感や思いつきがあり、
その後に、その真実性を証明するために
論理的思考が後続する、という因果をとっているものが
ほとんどなのではないかと。

とはいえ、普段からそのようなことを考えていないと
直感や思いつきが理論として明文化することはないのだけど、
理論になった時点で、それが誰でも理解できるということは、
実は、理論にならずとも、最初から誰でも知っていたこと、
ということになる。

人は、そういった科学理論を得る以前、自然に対して
様々な人格や意識、精神のようなものを見ていた。

それは、西洋のキリスト教や中東のイスラム教のような
あからさまな人格神を据えることもあるし、
東洋のように、森や水や風などという自然事象に
何か精霊のようなものが宿っているというような
漠然としたものもあるけど、その信心深さは同じでしょう。

昔の人は、そのようなものを直感していたということ。

それが人の間で語り継がれるうちに
次第に人間に都合の良い神様仏様に変貌してしまってるけど、
それらが宗教や思想となるより前、そう発想した段階では、
純粋に自然の中にそのような何かを感じたのではないか。

本当に理屈抜きで、真っ白な心で(これは無理だろうけど)
人間の精神、心というのは何か、と考えてみる。

それは物質的なものだろうか。

脳科学的には、人間などの高度な哺乳類の思考は
脳内の電気信号の連鎖によって発生しているのだ
と説明されるけど、これに素直に同意できるかどうか。

現象の因果関係だけを見れば、確かにその通りかもしれない。

しかし、その理屈を専門に研究している科学者であっても
その心のどこかに納得いってない部分があるんじゃないか。

例えば、脳内のある部位の神経細胞のつながりや
電気信号の連関によって「嬉しい」とか「悲しい」などの
感情が発生するということが解明されたとする。

しかし、それで「嬉しい」とか「悲しい」という感情や
それを創出する心というシステムについて解決した、
といえるだろうか。

動物の身体は、確かに物質です。

感覚に任せてみてもそれは素直に受け入れられると思うが、
それを感じたり考えたりしている主体たる精神自体も
物質に依存したものであるかどうかは、いかにもあやしい。

理性的には、物質であるはずだ、と思っていても、
感覚がそれを許さないという気がする。

もしかすると、物質には心や精神などのような
性質があるのかもしれないけどね。

とりあえず、人が「物質」と呼んでいるそれ単体や
単純な構造物には、心や精神はない、という前提でしょう。

それが何らかのメカニズムによって
何か精神的なものが生み出される、と考えられている。

実は、それは逆なんじゃないのか?
と、一度真面目に疑ってみても良いんじゃないかなと。

つまり、物質というのは、精神の形態のひとつか
もしくは属性である、ということ。

ファンタジーの世界では
好んでそういう考え方が採用されてるんですけどね。

人は下手に物質文明を得てしまったがために、
ものごとを遍く物質主体で考え過ぎてるという気もする。

まぁ、それを含めて真理なんでしょう。

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February 17, 2009

日曜日の日記

アインシュタインが

「箱の中の猫は生きているか死んでいるかどっちかだ」

といったら、ボーアは

「箱の中の猫は、猫だ!」

といっていた。


正解です。


BDレコーダを買ったので
VHSのテープメディア映像をBDへ移そうと思って
BDの空メディアを買ったんだけど、
やっぱし高いのね。

DVD-R/Wとかだと、10枚で3000円とかありますが
BD-REの場合、下手すると1枚3000円とかね。
(もっと安いのもありますけど。)

BD1枚はDVD数枚分の容量はあるわけだけど
それでもやっぱり高いって感覚はありますわね。


それはそれで。

テープメディアは、
セルものから録画したやつまでかなりあるんですが
(まぁ、録りっぱなしでほとんど観てないんだけど)
どれからやっつけようかなーと
ゴソゴソとマイビデオライブラリをあさってたら
「アインシュタインロマン」全6巻が出てきたのでした。

あれ、こんなの買ってたんだ。

と、自分で買っておきながら驚いたんだけど
そういえば昔買った気もする。

これからやるかってことで
日曜日は1日引き篭もってダビングデーでした。

だって、VHSからBDだと倍速とか高速とか無理ですから。
等速でダビングするしかない。

せっかくだから、久々にその
「アインシュタインロマン」に浸っていたわけです。

いやー懐かしい。

懐かしいっていうか
今見ると、これはこれで新しい発見がありますね。

昔これを観たときの私はまだ若かったってことで、
ふーん程度の認識だったと思われる話とか演出とかも
今見ると、あーそういうことかもしれんなー
とか、新しい知見が自分の中に沸いて出てくることがある。

これ、結構楽しいです。

初めてこれ観たのは、確か小学生くらいの頃ですよ。
その頃の記憶といえば、
何だかにゃーにゃー猫が鳴いてたなぁとか
なんかグニャグニャした奇妙な映像だったなぁとか
そんな程度。

2度目に観たのが再放送だったかこのビデオだったか
その辺は定かじゃないけど、
そのときに、アインシュタインってすげーなー
って思ってたような気がします。

やっぱり、今見てもアインシュタインってすげーなー
ってのは変わらないんですが、
でも、何となく言ってることが理解できるようになってるので
根拠のないすげーではなく、
こんなこと思いつけるなんてすげーって感じになってる。

ただ、彼が常識破りなのは周知の通りなんだけど、
逆に、結構頑固な人かもしれない、とも。

相対論なんて、柔軟な頭を持ってないと発想できない
と見ることもできるけど、
アインシュタインの頭の中には既にその方向の発想ができていて、
その信念に従ってまっすぐ理論化されたもの
と見ることもできるんじゃないかなと。

であるが故に、量子力学を受け入れることができなかった。

「神はサイコロ遊びをしない」という有名な言葉がありますね。
彼が信じる神があるとすれば、それはスピノザの神であると。

要は、全ての現象は最初から法則によって確定していると。

それは真理なんでしょうけど
多分、人間には永遠に語ることのできない真理でしょう。


なんてことを、ビデオ見ながらウトウトしてたら
テレビからニャーニャー聞こえてきて
冒頭の面妖な夢をみてしまったと。


なんか、真理とかどうでもよくって
結局、人間にとって目の前の事象が全てなんじゃないか。

ええ、猫は猫です。

見えることが真理。感じられるものが真理。

その裏に何かあるかもしれないけど、
それは実質的に関係のないもの。

実は、それが真理なんじゃないのか
とも思えてきた。

つまり、裏なんてない。

見て感じてるものが全てであると。

ただ、人間が見て感じられるもの、というのは
他の観察者より極端に少ないんじゃないだろうか。

それはなぜかといえば、
人間が知性を持ってしまったから。

あらゆる現象を知性の元で認識しようとしてしまうことが
感覚のフィルタとなってると。

知性というのは概ね言語による理性的な理解なんだけど、
人間は感覚を無意識に言葉に置き換えてますから。

その時点であらゆる現象が欠け落ちてしまってます。

さらにそれを表向きに表現しようとするとき
言葉を組み立てて文章という表現に変換する。
ここでまたさらにオリジナルの現象が削られる。

でも、人間はそうして文章化された結果を
文化的で美的なものとして受け入れてきたので、
そうした何らかの文脈に沿った発展を遂げてきたと。

といえど、知性を得なかったら
現象を見て考える、なんてことはできなかったでしょうけど。

多分、ラジオボタンみたいなもので
完全な知性を得るか、完全な感覚を得るかは
排他的なものかもしれない。

アインシュタイン方程式というのは、端的に言えば
時空と物質をイコールで結んだ式なんですが、
時空というのが主観(自分たちがいる場)であるとするなら、
物質はその主観から見た客体(他者)ってことじゃないのか。

つまり、主観、即ち、対象。

見てるものが自分自身。

灯台は他者は照らせるけど自分は照らせないから、
自分は永遠に見ることはできないんだけど
照らしてる相手は実は鏡像なのかもしれません。

してみると、宇宙がもともと何かひとつだったとしたら、
それは唯物で見るのではなく唯心で見た方が
よりそれの近似っっぽいという気がしてくる。

そう思いませんか。

宗教的ですか。とですか。

ええ、そうですとも。

ていうか、意味わかりませんね。


まぁとにかく。


知性的に生きるのが幸せなのか、
感覚のままに生きるのが幸せだったのかはわかりませんが
(そもそも幸せって何なのかって話ですが)
実際のところ、私たち人間は知性を手に入れてしまった為に
ある意味盲目になってしまっているのかもしれないなー
なんて思ったのでした。

もし、人が完全な感覚を手に入れたかったのだとしたら、
パンドラがあの箱を開けたのは最大のミスでしたね。


…などと妄想してたらガチャンッとビデオが停止して、
はたと現実に戻される。

そういえば、ビデオって巻き戻しって作業があるんすね。

(うぃぃーんキュルキュルキュル)

なんかこれ、昔は面倒だったけど
今久々にやると、妙に趣がある。ってか新鮮かも。


そんな日曜日でした。

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January 25, 2009

簡単な宇宙論ほど難しいという話

目を閉じて横になるだけでも
睡眠の半分の効果はあるらしい。


今回は私の脳内メモなので
読んでもあんまり面白くない(意味不明)と思います。

私の思考ログってことで。


ディスカバリーchのホーキングの特集を見てて
なんか感覚的に違うなーと思ったこと。


宇宙はビッグバンから始まった。

しかし、その始まりというのは実は始まりではなく
ひとつの節目に過ぎないとのこと。

いわゆる無境界仮説というやつ。

宇宙の理論というのは
宇宙がどんな感じで構成されていったのか?
ということと、
宇宙がどう始まって終わるのか?
という、大きくこの2つを語ること。

後者の方が境界の話になるわけだけど、
ホーキングは、そんなもんないよ、といってる。

まぁ、それは良い。

もうひとつ。

超ひも理論ってやつがある。

超ひも理論自体はまだ仮設の域を出ていないけど、
これを支持する科学者は多い。

なぜかというと、
量子力学と相対性理論の両方の性質を
その理論の中に(必然的に)含んでいる
というところが一石二鳥感があって
科学者には“おいしそう”にみえるんでしょうな。

ただ、この理論は超対称性の理論を前提にしているので
そっちの論証がまず先決。

超対称性については
うわさのLHCによってその正しさを実証する動きがあるので、
実験が成功し、かつ余剰次元の存在が確認されれば
先に話が進められるってことになるんでしょう。

余剰次元ってのは
超ひも理論でいわれている3次元以上の次元のこと。
最低でも6次元は余計にあるはずだといわれている。

私たちの生活しているこの世界(の認識)では
上下、左右、前後という3方向の空間広がりとして感じる。
まぁ加えて時間をつければ4次元。

でも、さらに多くの次元があるはず。

宇宙というのは、いくとこまでいったら
行き止まりの壁があってそれ以上進めなくなってるのか?

なわけない。

地球上に暮らす私たちは
その球面上でどこまでいっても行き止まりになることはなく、
ずっと同じ方向へ進んでいれば
ぐるりと回って同じ場所にたどり着くことになる。

それを平面という2次元で考える限り
なぜ自分が同じ場所に戻ってきてしまったのか
その理由を知ることはできないわけだけど、
3次元の球という事実を知れば、
同じ方向へ進めば同じ場所へ戻ってくるということは
一目瞭然で理解できる。

宇宙を考えるとき
3次元という視野では狭いのであって、
もっと高い次元を考慮する必要があるんじゃないかなぁ
ということは、上の話から何となくわかる。

で、科学者たちはそのことに関して
「その余剰次元は3次元に住む我々にはみえないのだ」
というんですな。大抵。

でもね。

その余剰次元がみえない、というのは
感覚的にだけど、違う気がするのよね。

実は、見えてるんじゃないの。

見えてるのだけど、無視している。

あまりに当たり前すぎて誰も突っ込まない何かの中に
その答えがポトリと落ちてるんじゃないか。

そんな気がするんだよね。

いや、余剰次元の話に限らず
物理現象、というか自然現象というのは須らく
語られる以前から(最初から)そこにあるものでしょ。

ニュートンが万有引力の法則を見つけなくても
リンゴは上から下へ落ちるわけです。

もし宇宙がそのような構造であるとするなら
見つかってみて「あーそうなってるね」という話になる。

さすがに9次元とか11次元とか見えるわけネェ
と思うかもしれないけど、
見えるような(てか、解るような?)気がしなくもない。


宇宙は何もかも最初はひとつだった。

力も物質も空間も(時間も?)
存在するとされるいろいろな概念オールスター全部が全部
なにか唯ひとつのそういうモンだった。

という話から始まって、
そのパーフェクトなものがガチャンと音を立てて壊れて
力やら物質やら空間やらというものに分離した。

その力や物質もさらに何種類かに壊れてって、
どんどんいろんなものに分離していって今のような
いわゆるカオスな状態になったのだ。

今の宇宙論は大体そんな感じ。

宇宙を語るといった場合、
その成り行き(壊れ方)を語ること、
つまり将来どうなるかを語るのと同じになるんだけど、
それと、その壊れる前がどんな状態だったか
ということを語るという仕事がある。

それは、上で書いた成り行きと境界ということと
同じ話になると思うのだけど。

で、どちらかというと、
壊れる前を追求する方に苦戦してると思うんだけど、
もとがそう複雑なものでなく、シンプルなものであるなら
予想以上に簡単にソレを見ることはできるんじゃないか。

エライ歪な格好をしたガラス細工が壊れたら、
それがもともとどんな形をしていたか知る術はほとんどない。
でも、だたの球形をしたガラス玉だったとしたら、
よほど粉々に砕けていない限りは
何となーく丸いんじゃね?ってわかるんじゃないか。

あー、逆かなぁ。

ちょっと複雑な形をしていてくれてた方が
元の形に組み立てやすいのか。
真っ白なジグソーパズルが難しいのと同じで。

どこまで壊れているかにもよるかも。

とにかく、人間の思考って、どうもデフォルトで
すんごく回り道をするような回路が組まれてるような
そんな気がする。


実は、猿や犬猫の方が、下手すると虫や植物の方が
宇宙の真実を知ってたりしてね。

実際、総体として人間は賢い生き物とは思えないよなー。。

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