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February 15, 2013

正しいこと?

「正しい」という言葉には2つの意味があって、
ひとつは真実であるということ、本当のことという意味で、
もうひとつは善悪でいう善の方であるという意味。

後者に関しては人それぞれ考え方や価値観によって違うものだけど、
前者は誰にとっても同じ基準で理解できるものであるという概念。

ただ、その“真実”、“本当のこと”とは何かというと
これも突き詰めればそれを見る人によって異なるものであったりする。
あくまでそれを認識するのは主観的でしかないから。

それでもどうにか万人にとって全く同じ判断材料はないだろうか
といったときに重宝されるのは“数学”ということになる。

単に数学といった場合、幾何、代数、微分積分と
いろんな分野を含んでいるのだけど、それらに共通しているのは
数値や数式で物事を表現できるという点。

数というのは極めて抽象的な概念で、
数を数える対象がミカンだろうとリンゴだろうとメロンだろうと、
その個数、数は1、2、3…という数字に統一されてる。

数は誰がどうみても変わらない概念であり、絶大な信頼感がある。

その数、或いは文字で表される数式は常に同じ規則で
答えを導くことができるのであり、
その数式が自然現象を表現するものだと一度証明されれば、
その数式の再現性は絶対なので、それを利用して
次の真理を求める定理や公理として使われ、
あるいはそれを実用に転嫁して生活を便利にすることもできる。

ところで、そうして数式化された“正しい”ことというのは
人の善悪でいう“正しい”ことに必ずしもイコールではない。

前者はあくまで判断や技術の材料としての正しさであり、
後者は人の利害について判断される正しさである。

例えば、核技術は工学的には、即ち限定された範囲の数学的には
実用可能な完成されていている真理ではあるのだけど、
それはときに人にとって不利益をもたらす可能性も秘めている。

ただ、核技術を使うことによる恩恵は大きく、
わずかな材料で膨大なエネルギーを生み出すことができる。
反面、それを使うことによるリスクもそれだけ大きい。

ここでいいたいのは、核技術そのものは、そのような事実としてある
というだけのものに過ぎないということ。

それが恩恵になるか悪害になるかは、
それを実用する段になってどう使うのかにかかっているところでもあり
どこまでリスクを許容し、どこから拒絶するかに拠っている。

核廃棄物が大量に出たり、事故による放射能のリスクがあったとしても
それによって得られるエネルギーが必要不可欠ということになるのなら、
それは人にとって利益であり、善悪でいえば正しい方へ傾くだろうが
そもそも、正しいとか誤りとかいう判断をそこに入れるべきではない。

そのような技術がある、それに利用価値があるかないかというだけ。

これは数学からなる科学技術で支えられる全ての事項にいえることで
自動車は交通事故のリスクを常に負っているが必要なら乗るし、
コンピュータはあらゆる情報流出を助長しているが必要なら使うし、
化学製剤による薬品は自然や生体バランスを崩すが必要なら処方する。

正しいかどうかではなく、使う価値があるかどうかというだけ。

道具に罪はなく、使い方に罪があるという見方をさらに転じて
使うこと自体にも(リスクがあったとしても)罪があるわけではなく
そのような価値があったから使われたという事実があるだけということ。

人が何かに不安を覚えたり、怒りを感じたりするのもわかるけど、
では、その対象が消え失せることでその感情も解決されるのかどうか。

自動車が走らなくなれば交通事故は世の中から消えてなくなるけど
その犠牲になる利便性というのもあるだろうということで。

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February 14, 2013

ルールを守りましょう?

毎朝通う通勤路で、ちょっと気付いたことがある。

今のオフィスは、駅から徒歩10~15分ほどの場所にあるのだけど
その駅からオフィスまで信号が3つある。

最初の信号は道幅の狭いマイナーな道路とメイン通りの交差点で、
私はメイン通りを抜けるのでその狭い道を渡ることになる。

信号は設置されているが、車さえ来てなければ
無視して渡ってしまっても差し支えないと思えるレベルの交差点。

2つ目の交差点はほぼ同規模の道路の交差点。
こちらはよほどせっかちでなければ信号に従うべきと思えるもの。

3つ目は2車線道路と4車線道路との交差点。
4車線の広い方の道路は車の往来も多く、そこに信号は必須。

で、気付いたことというのは
この最初の小さな交差点で赤信号にかかってそれを待つと、
2つ目と3つ目の交差点でもかなり高確率で赤信号になるということ。

おそらくは、歩行者よりも車を流すことを優先させていて
車がスムーズに流れやすいように信号も調整されているんだろうと。

そうすると、歩行者はその煽りを食らって
それらの信号機の連携は歩行者にとって最悪のものになるのね。

まぁ、何かをある者に恩恵があるようにもっていくと
その裏でとばっちりを食う者が(ほぼ必ず)出るということなんでしょう。

そして、実はその最初の小さな交差点で赤信号になった場合、
それを無視すると、なんと2つ目と3つ目の交差点では高確率で青。

バカ正直にルールを守ったって、その先もエエことなしだと。
ちょっとルールを破って動いた方が物事は好転するみたいな。

何ていうか、ルールは破るためにあるとかいう言葉もありますが、
そのルールが破っても問題ないルールなのか駄目なルールなのか
そこを自分で判断するってことが大事なのかなとも思えてくる。

何でもカンでも定められたルールに従っていれば良いのか。
もしかしたらそのルールは実は不合理で理不尽なものではないのか。

とはいえ、交差点の信号は守るべきものではあるんですが、
明らかに車が来てなくて赤信号の横断歩道と、
青信号だけど暴走車が突っ込んでくるのが見えてる横断歩道では
どちらが渡っても安全かといえば、そんなのは明白なわけです。

いえ、ルール破りを正当化するつもりはないですよ。

ただ、常に人が決めたルールに従っていれば良いという考えは、
何か被害に遭ったときに自分以外への責任転嫁の理由にはできるけど
最初から何か被害に遭わないようにするには、都度自分で判断して
行動するってことが肝要なのではないですかって話です。

ルールというか、決まり事とか他人同士の一般的な合意というのは
とりあえずそうするものだとお互いに理解しあえる理由になって
お互いの摩擦を少なくする潤滑油の役割を果たすものでしょう。

その意味で、多くの他人と触れ合って生きていく上で
何らかの常識的なルールというのは必須のものではありましょう。

でも、それも、常に正しいものはないのだ、という前提の上で
自分の行動には自分で考えて責任を持つようにしなきゃいけなくて
そうでない人が多いから、人任せばかりで文句ばっかりいってる
そんな人が多いんじゃないかなぁ、と思ったりもするわけで。


ん、まぁ、そうはいっても、とりあえず信号は守りましょう。

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