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June 25, 2012

スピノザの神

誰も見てない事象は存在するのだろうか。
誰も見てない場所は存在するのだろうか。

例えば、ある時刻に
地球上の誰一人として月をみていなかったとしたら、
その瞬間、月は存在しているのだろうか。

一瞬でもそんなときがあったならば
少なくとも地球人にとって月は存在しなかったに等しい。

次の瞬間、誰かが月を見たとして、
果たしてその月はさっきまでの月と同じものだろうか。

何かの事象の時間的な連続性というのは
それを誰かが見ていることがおよそ前提となっているが、
それは必ずしも保証されていない。

ならば、誰も見ていないものは存在しないと考えた方が
事態はより単純化しないだろうか。
オッカムレーザーの考え方にもあうのではないか。

量子力学の考え方では、
誰も観察していない場合は存在する確率としてみるのだけど
それは、有るか無しかのいずれかということではなく、
有るし無いという2つの状態が共存していることだという。

これは何も決められない優柔不断な考え方だと思えるけど、
その確率という数字はコレと決まる値が出てくるので
その意味では確定的にモノをいっていることになる。

ただ、そのいずれかの状態しか観察することができない
私たち人間の頭脳には直感的に合わないということ。

実は人間の感覚にはかからないような状態が
この世界のバックグラウンドにあるのではないかという話は
SF界隈だけでなく物理学の世界でも多く語られている。

存在とは何か。その連続とは何か。

古来からそのような疑問は哲学とされてきたが、
何かを繰り返し観察することが大前提である科学の世界で
その観察の主観たる思考や人間の心といったところが
極力避けられているというのも滑稽な話である。

それはさておき、やはり目に見えて存在しているものは
時間的にも連続していると考えるものである。

それは誰も見ていなくても存在している。
そうでなければならないと私たちは直感している。

では、もしそうではなかったら。

つまり、本当は時系列で繋がってなどいない。
因果関係があると我々が思い込んでいるこの世界は
実は不連続な事象が無造作にあるだけだとしたら。

その場合、なぜ我々がその世界を連続的であると感じるか
そこの疑問を解消しなければならない。

例えば、人は何故、昨日の自分と今日の自分を
同じ自分という人間であると認識しているのだろうか。

それに実は何の根拠もない。

というより、根拠を必要としない自明な事実であると
少なくともそう思い込んでいる。

意識が続いている間の連続性は
周囲にも認識されることである程度の保証を得ているが、
基本的に自我の連続性は自己完結している。

ただ、例えば深い睡眠や全身麻酔などにより
その意識に不連続な空白が生じる場合もある。

その場合も、自己以外に拠らず
その前後の自分を同じ自分であるという認識で接着している
その役割を果たしているのは、他ならぬ記憶である。

ただ、その記憶とはいかにも曖昧で
それが都合によって変化しやすいものであるということを
実は私たちは知っているのではないか。

もしかすると、寝る前と起きたときの意識は
全くの別人であるのかもしれないのだが、
人はそれを露ほども疑わないのは、実は不思議な話なのだ。


「私は、人間の運命や行動に関わる人格のある神よりも、
 世界の秩序ある調和の中に現れるスピノザの神を信じる」

というアインシュタインの言葉を見て思ったことを書いたら、
ちょっと星新一みたいになってしまったでござるの巻。

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June 20, 2012

違法ダウンロード刑事罰化

さて、遂に通っちゃいました。

違法ダウンロード刑事罰化・著作権法改正案が可決・成立
(ITmedia.co.jp)

ここで違法だといわれているのは、
権利保有者が認めていない映像や音声をダウンロードすること。

要は、ネット上に公開されている音楽や動画をダウンロードすると
それは須らく違法になる可能性があるというお話です。

この条項自体は2010年1月に既に施行されていて、
ダウンロードの違法性(その可能性)そのものは今もあるのだけど
違法だったとしても罰則が規定されてなかったわけです。

それが今回、このルール破ったらお仕置きよ!ってことになったと。

どんな罰則かというと、その改正案を見てみると

著作権法の一部を改正する法律案に対する修正案要綱

第一 罰則の整備

 著作権法第三十条第一項に定める私的使用の目的をもって、有償著作物等(録音され、又は録画された著作物又は実演等(著作権又は著作隣接権の目的となっているものに限る。)であって、有償で公衆に提供され、又は提示されているもの(その提供又は提示が著作権又は著作隣接権を侵害しないものに限る。)をいう。以下同じ。)の著作権又は著作隣接権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であって、国内で行われたとしたならば著作権又は著作隣接権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、自らその事実を知りながら行って著作権又は著作隣接権を侵害した者は、二年以下の懲役若しくは二百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科すること。

(第百十九条第二項関係)

つまり、著作権法の第30条第1項に違反したら
20年以下の懲役か200万円以下の罰金を支払うことになるってこと。

では、その著作権法第30条第1項とやらはどんな規定かというと

第三十条

著作権の目的となつている著作物(以下この款において単に「著作物」という。)は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。

 公衆の使用に供することを目的として設置されている自動複製機器(複製の機能を有し、これに関する装置の全部又は主要な部分が自動化されている機器をいう。)を用いて複製する場合

 技術的保護手段の回避(技術的保護手段に用いられている信号の除去又は改変(記録又は送信の方式の変換に伴う技術的な制約による除去又は改変を除く。)を行うことにより、当該技術的保護手段によつて防止される行為を可能とし、又は当該技術的保護手段によつて抑止される行為の結果に障害を生じないようにすることをいう。第百二十条の二第一号及び第二号において同じ。)により可能となり、又はその結果に障害が生じないようになつた複製を、その事実を知りながら行う場合

 著作権を侵害する自動公衆送信(国外で行われる自動公衆送信であつて、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきものを含む。)を受信して行うデジタル方式の録音又は録画を、その事実を知りながら行う場合


著作権法 [law.e-gov.go.jp] より

これは現行の条文ですが、これも変わるんですかね。
とりあえず今はこの一、ニ、三が禁止事項ってことですね。

この一号にある「自動複製機器」というのは何じゃい?
というと、おそらくここで想定されてるのは、
まずはオフィスやコンビニにあるコピー機や複合機などのこと。

加えて、デジタルコンテンツのコピーも想定するとしたら
ビデオやDVD、HDDレコーダーなども含まれるでしょう。
さらに、ソフトウェア的に映像や音声を複製できるPCを含む
コンピュータ全般もこれに該当すると思われる。

ただ、その前に
「公衆の使用に供することを目的として設置されている」
とあるので、個人PCでの複製に関しては該当しないはず。

問題はサーバ側で、サーバにアップロードされてるものを
個々のPCにダウンロードする行為は複製ということになる。

そしてサーバは「公衆の使用に供することを目的」として
設置されている機器でありましょう。

ここ非常にグレーだけど、ここでダウンロードの違法性が
言及されているといえなくもない。


次の二号は、何らかのコピーガードがかかっている
CDなりDVDなりのプロテクトをキャンセルして
そこから音声や映像データをPC等に取り出すことの禁止。

いわゆるリッピングは禁止ってことですね。

上のニュース記事では
新たに市販DVDやゲームソフトのリッピングが違法になった
みたいに見えるけど、既にこの時点で違法な気も…(?)

例えば、好きなアーティストのCDを買って、
それをiPodなりWALKMANなどのプレイヤーに入れようとしたとき、
その手順によっては違法になる可能性がある。

フリーやシェアウェア、或いは市販のコピーツールの中には
特にユーザが意識することなくプロテクトを越えて
wavやmp3形式で音楽を取り出すことができるものもある。

まぁこれは、iPodならiTunes、WALKMANならx-アプリとか
公式のツールを使ってコピーしてくださいってことですね。
といって、もし公式ツールまで法を犯してたら悲しすぎますが。

逆にいえば、公式ツールでプレイヤーにコピーできないCDは
もう諦めるしかないようです。

例えば昔、CCCD(コピーコントロールCD)という技術で
プロテクトがかかったCDが出ていたことがありましたが、
あれは基本的にPCで再生することができない問題がありました。

苦肉の策として、その音楽CDをドライブに入れたら
当該CDを再生できるようにするソフトを自動インスコする!
などという、セキュリティに厳しい今の時代なら総スカン確実な
珍仕様が採用されていたCDもいくつか。

で、そうしたCDはおそらくiTunesもx-アプリもサポート外で
おとなしくCDのままコンポなり車なりで聴いといてくださいネ
というオチがつくだけのお話です。

古いCDをポータブルで聴きたかったら、
公式でダウンロード販売されてるかもしれないので探せと。
幸運にも見つかったら、それを買えと。CD持ってても。

これは音楽CDだけでなく、DVDやBDなどの映像作品も
手元に購入したメディアがあったとしても、
それをポータブルに移して出先で視聴したりするのは諦めろ
ってケースは少なからずありましょう。

今後はCDとかDVDなんかの円盤は買わないで、
公式からソフトをダウンロードしろってことになるのかね。
ゲームはともかく。

ちなみに、今回リッピングに関しては罰則はなしらしい。


そして三号ですね、共有サーバにアップロードされてる
違法な映像や音声のダウンロードを禁止するもの。

まず「著作権を侵害する自動公衆送信」って何だよと。

「自動公衆送信」というのは、映像や音声を配信するといったら
YouTubeやニコ動といった動画共有サイトがまず挙げられるけど、
どこであれ公開サーバに映像や音声のファイルが置いてあれば
それを踏んでしまう場合も当然該当するでしょう。

あと、サーバでなくWinnyなどのファイル交換ソフトや
BitTrrentを使ったりしてP2Pでファイル共有されてるものも
「自動公衆送信」にあたると思われる。

要するに、ネット上の誰でも見えるところに置いてある
ってことなんでしょう。

で、その自動公衆送信とやら全部が否定されてるわけじゃなく
その前に「著作権を侵害する」とある。

その先に「~を受信して行うデジタル方式の録音又は録画」
とあるので、翻訳すると

著作権を侵害する音声や映像をダウンロードして保存するな!

…ということかな。
録音、録画というのは、音声や映像を保存することですよね。

問題は、もうこれはあちこちでいわれてるけど
著作権を侵害する音声や映像ってのは何ですか?ってところ。

結局そこは、その権利者がどう出るかにかかってる話で
無断でアップロードされているものだったとしても、
権利者が許せば合法で、ダメじゃんといえば違法になる。

例えば、地上波のある番組が録画され(ここまではOK)
それがYouTubeにアップロードされたもの(おそらくここはNG)が
ランキングのトップにあったり“おすすめ”にあったりしたら
多くの人はそれを踏んでしまうでしょう。

この場合、踏んだ人は全員容疑者となるわけですよね。

これはセルDVDとか音楽とかでも同じことがいえて
公開されていて、それに興味があれば、当然見ると思うんです。
まして注目度が高いとあれば、興味がなくても見てしまうもの。

まぁ、そういうのを取締まるのが趣旨ではないとは思いますが
可能性の話として、いつでも誰でも犯罪者に仕立てられるという
そういう危険性も少なからず含んでいるということ。

例えば、私はニコ動でゲームのプレイ動画をよく見るのだけど
あれもゲーム画面を無断でアップロードしてることになるので、
実は違法性がある(その可能性がある)ものなんですよね。

なので、私も著作権法違反の容疑がかけられる可能性がある。
実際に裁判になって刑が確定すれば犯罪者ですよ。


しかし、これ本当に音楽業界の売上に貢献する話なのかな。

違法ダウンロードに刑罰が設けられたからといって、
音楽CDなりDVDの売上が伸びるとは思えないんだけど。

むしろ、違法リッピングの方が仇になって
純粋なCDの売上に限っていえばさらに落ちるんじゃないのか。
ダウンロード販売に望みをつなげるってことですか。

どうも私には、インターネット上のメディアを規制して
人々のネット活動を萎縮させる動きのように思えてしまう。

こんなことをして、誰が得をする?

と考えたら、
今ネットにしてやられてる業界はいくつか想像できるけど……
あ、そうか。何となく、あそこな気がしてきた。

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June 12, 2012

美意識

Twitterやっちゃうとブログ書かなくなるといいますが
いやホント全くその通り。

普段思ったことをその場その場で吐き出しちゃうので
たまにはブログでも書こうかなーと思って編集画面を開くも
あれ、やっぱし書くことないな……ってなっちゃうんすね。

今日はサッカーのおかげで職場が早々に捌けて
私もうまうまとそれにのっかって早く帰ることができたので
折角この時間のあるときに何か書いてみようかなと。

タイトル「美意識」。

といっても、ビューチホーなアレとかナルシーなソレとかじゃなく
今回私が考察…妄想してみたのは
私の職業分野でいうコードに関するお話。

ここでいうコードというのはプログラムのことです。
コードといってもケーブルとかCメジャーセブンスとかじゃなく…
あ、もういいですか。そうですか。

あーつまり、コンピュータプログラミングにおける
美というものの追求について、ですね。

ところで、まだ本題に入ってないのにいきなり余談ですが、
私は昔、某ゲーム系専門学校のプログラミングの講師に
採用されかかったことがあります。

あれは私がフリーになる約1年前の話。
当時、私が社員だった会社のブラックっぷりにほとほと疲れて
いろいろ転職活動してる中の選択肢のひとつだったわけですが
ほぼ採用が決まった段になって蹴ってしまいました。

理由はぶっちゃけ薄い給料だったんですが
今にして思えば、そうでなくても蹴ったのは正解だったかなと。
学校にも私にも、お互いにとってね。

正直、当時の私は
人に教えられるほどプログラムに熟練してなかったと思う。
まぁ、教えながら自ら成長するという例もよくありますけどね。

ただ、ことプログラムということになると、
間違った概念や知識を若者に植えこんでしまうというのは
やはりそれほど小さくない罪だろうと思うわけです。

それから1年後にフリーに転身してから今に至るまで
1つの会社にとどまらずいろんな会社でいろんな言語に触れながら
それこそいろんな人の書いたソースを見てきました。

ソースといっても、とんかつとかウスターとかタルタルとか…
あ、もういいですか。そうですか。

ソースというのはソースコードのこと。
コンパイルする前のテキストのことですよ。要はコードです。

中にはなんでそうするのか納得いかないコードもあれば、
そういうやり方もあるのかとひどく感心するコードもあったりで
書く人の考え方や性格なんかもコードの中に見えたりして
それはそれで面白い経験ができたと思っておるわけです。

そんな中で、これはキレイだ!これはふつくしいッ!

などと思えるコードというのもいくつかあり
それらの共通点は何だと一言で形容できないもののありますが
きっと確実にいえるだろうことがひとつある。

それは“単純”であること。

そう、シンプル・イズ・ベスト。 SIMPLE IS BEST!!!
(大事なことなので2回…)

全く同じ要件を実現するコードでも、
よりステップが少ない、より階層が少ない、よりシンプルな方法で
実現されているものの方が「キレイだ」と思える。

これはコードに限らず全ての論理でいえることで、
同じことができるなら、より少ない手順でやれるものの方に
多くの場合選択の価値があるという考え方です。

オッカムの剃刀ですね。
数学や物理学なんかも同じ論理で、より単純な方が真理だとされる。

…という観点で見てですね、
逆に「これは酷い」と思えるコードもやっぱり同程度にあるわけで
やれif文の分岐をこれでもかと幾重にも重ねてみたり、
段々畑かと突っ込みたくなるほど何ブロックも奥まってみたり…

それはそれで見た目に面白くて、ビジュアルでは絶景なんですが
きっとコードとしてはいただけないわけです。

あまりやると一体どれがどの終了ブロックかわからなくなったり、
途中で登場する変数のスコープがどこまでか判別しづらかったり
全く同じ処理が同じブロック内に2度3度コピペされてたり…

まぁとにかく、そんなバグの温床になるようなコードが山盛りで
そんなものが実運用で稼働してるとかいう日常がある。

これ書いたのどう見てもプログラマじゃないだろ!
普段ExcelやWord使ってるアドミニが片手間に書いたんじゃないの?
とか思えるようなシロモノが割りと多いという現実。

もちろん、そんなコードばかりというわけじゃないですけどね。
少なからずそういうコードを見る度に、これホントにプロの仕事?
とか思っちゃうわけですよ。

偉そうですね。私。

ええ、私もそんなにキレイなコードを書けてる自信はないですが
少なくとも自分なりに最適化しようという努力はしてるわけです。

目指すところはシンプルさ。

if else if else if else if ... なんて続く分岐の嵐は
switch にした方が見た目にもキレイだし可読性も上がるでしょう。

もちろん、言語によってはそれが使えない場合もあったり
規約縛りがあったり処理速度が落ちたりすることもあって、
そういうやむを得ない理由なり、if文の方が良いといえる理由なり
何かポリシーがあってのことであれば、それも是だと思います。

例えば、大抵の言語で文字列はswitchの条件に使えないので
そういうのはif else をつなげるしかない。それはわかります。

あと、現実は理想通りまるくキレイにおさまることばかりじゃなく、
後からお客の要求で仕様変更や機能追加を強いられたりとか、
致命的な設計ミスがわかってそう書き直さざるをえなかったりとか、
なるべく影響範囲を狭くするために後付コードにしてあるとか、
カスタムメイクだとそういう事情が多いというのもわかります。

ただ、そういう理由もなしで結果的に実現出来れば良しの精神で
ダダ打ちされたコードというのは、美しくないだけでなく
それを書いた本人さえ誤読しやすく、後でメンテする人とかなおさら…
ってことになってくるわけですよ。

全く考えた後がないコードというのは、大体ぱっと見でわかる。

そういうのを見て何も疑問に感じない人というのは、
きっとプログラマよりも他に向く仕事が何かあるんじゃないのかな?
っていってあげたくなる衝動に駆られるのです。

偉そうですね。私。

ホント、ごめんください。
でもここは私のブログなので、ここでくらい好き勝手書かせてクダサイ。

といっても、これ以上書くことも無くなってきたんですが。

要は、コードを書いた後、もしそれを考える時間の余裕があるなら
たった今書いたそのコードはもっとシンプルにできないだろうか?
と考えて欲しいということです。是非とも。

多分、私が今プログラミングの講師になったら、
下手な自前ポリシーは変化するので(それは学んだ!)押し殺しつつ
とりあえず「シンプル・イズ・ベスト」だけは教えると思う。

これは多分、コーディングに限らない美意識という気がします。

今さらそんなことを思ったって話ですが、
考えてみれば、これってわりと枯れた常識だったりしますよね。


よし、久々に書いたぞ。

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