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November 24, 2010

お前はもう…

これは、私だけだろうか。

ときどき、自分は本当に今生きているんだろうか?
と、思うことがあります。

どういうことかというと、そのまんまの意味で
実は、自分はもうとっくの昔に死んでるんじゃないか、と。

思い返すと、あれでよく死ななかったな、よく生きてられたな
と思えるようなことが、これまでの経験に何度かあるのです。


一番古い記憶だと、小学生の2、3年生くらいの頃かな、
そのときやらかした「階段飛び降り競争」。

何それ?

いや、子供ってのはくだらない遊びをいくらでも思いつくもので、
「階段飛び降り競争」も、そんな遊びのひとつ。

友達と、階段のどれだけ多い段数から飛び降りられるかを競うのです。

4、5段くらいは楽勝。6、7段になってくると危険域。
8段、9段目くらいになると、小学生低学年なので
着地に失敗したり、下手すると大ケガする高さになります。

そのくらいの子供は、基本的に後先見ないから
本気になれば何でもやれる、とか思っちゃってるんですよね。
あと、諦めがない分、かなり負けず嫌い。

てことで、そんなアホな私は
9段目くらいから勢い良くジャンプしたわけですが。

その階段というのが、その天井が上まで突き抜けてなくて、
天井も階段状に高くなる構造になってたんです。

なので、その高さから放物線を描いて飛ぶと…?
どうなるか大体わかりますね。

リアル孔明の罠です。

ええ、思いっきり天井に頭ぶつけました。
そのまま9段+αの高さから階段の一番下まで落下。
無事着地なぞできようはずもなく。

ところが、そうして派手に落ちたにもかかわらず、ほとんど無傷。
頭にコブができる程度で済んだんですよね。

今思うと、ホントかよ?って自分で思ってしまうんだけど。

実は、私はあのとき死んでるんじゃないのか?


あと、近所の防火水槽に落ちたこともあった。

最近の防火水槽はフタがしてあったりマンホール式だったり
安全対策が万全なんですが、当時は開けっぴろげの水槽が多く、
しかも下に降りられる構造になってないから、
当然下から上にのぼれるようにもなってない。

子供が落ちたりすると、ほぼ終わりです。

危険だから近づくなといわれていたけど、
近づくなといわれたら近づきたくなるのが子供でして、
アホな私は、もう絵に描いたようにそこに落ちたわけです。

でも、なぜか助かった。

よく考えたら、どうやって上にのぼったのか記憶がない。


溺れた記憶といえば、家族で海水浴してて、
私は泳げないんだけど、地面に足が付いていれば安心とばかりに
調子にのって徐々に沖の方へいっちゃってたんですね。

海岸の足場ってのは結構アテにならないというか、
ずっと平らではなく、場所によっては急に深くなってたりします。

で、アホな私は、その罠に見事にハマったわけで。

必死で浅い方へ戻ろうとするのだけど、これも海の足場の罠で、
砂が波に引かれて、足場もどんどん沖の方へ流れてるんです。

戻るに戻れず、こっちは必死でもがいてるのに、
遠くに見える父親は、笑いながらそんな私を見守ってたのよね。

遊んでたと思われたんだと思うけど。

その後は、その父親に引き上げられたんだと思うけど、
そのへんの記憶もどうもアヤフヤです。


子供時代だけじゃなく、学生の頃にも死にかけた経験はあって、
例えば、盆や正月に、神奈川から実家の鳥取まで帰省するのに
結構頻繁に車を使ってたんですが、そこでも何度か死んでる。

片道約800kmを大体半日で走破するわけだけど、
帰省時期の日中の高速というのはほぼ間違いなく大渋滞なので
いつも深夜から早朝の時間帯を狙って走ってたんですが、
まぁ当然、眠いわけです。

長距離な上に、本来いつもなら寝てる時間ですからね。

ふっと意識が飛んで、気づいたら中央分離帯が目の前!
みたいなことは何度かありました。

最近は道路に警告のデコボコが貼ってあって、
あまり寄り過ぎるとガーッと大きな音がなるようになってますが
あれは地味だけど、かなり事故を減らしてると思いますね。

とにかく、そこで死んでても全然おかしくない。


でも、生きてるっぽい。

で、最初の話に戻るわけです。本当に私は生きてるのか?


実は自分、死んでんじゃね?

自分では、普通に生きてて、普通に生活してるように思ってるけど、
映画「シックス・センス」みたいなオチだったりするんじゃないのか。
(ああ、見てない人はネタバレゴメン?)

って考え出すと、そもそも生きてると思ってるこの世って何だろう?
というところまで行ってしまって思考回路がショートし始めるので、
そこで大体考えるのをやめるんだけど。

哲学としては枯れたテーマなんでしょうけどね。


ここで、私の仮説が1つあるのです。

実は、人生には「残機」ってのが設定されてるんじゃないのか。


それ、なんてシューティングゲーム?


そう、そのシューティングゲームやアクションゲームでいう残機。
「グラディウス」でいえば、最初は3機あるので、2回死ねる。
3回目死ぬとゲームオーバーですね。

リアル人生も、生まれた瞬間に残機が例えば10くらいに設定されて、
9回まで死んでOKだけど、10回目はゲームオーバーであの世行き。

その意味でいくと、私はこれまで5、6機は失ってる感じする。

失うばかりじゃなく、どっかで1UPでもできれば良いんですがね。


それにしても、最近の弾幕は厳しいです。避けるので背いっぱい。
どっかで休憩タイム欲しい。

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November 07, 2010

雑記(11月号)

最近、自分のやりたいことがよくわからん。


○仕事の話。

私はフリーの技術者なんてやってるわけですが、
最近その仕事を探してる中で何となく感じたことは、
どうも両極端だなぁということ。

技術者がいない現場といる現場、ね。

技術者がいないところは、
まともな技術者が少なく、全体的に人手自も足りてなくて
少しでも技術力があるならきてくれみたいな状態。

技術者がいるところは、
必要な技術力は既に確保済みで、それ以上は
今後の展開を考えて相当の手練を求めてる感じ。

実際、前者がなぜそういう状況になってるかを考えると
個人的にもあんまりそういう仕事は引き受けたくないし、
だから人がいなくなってるってことなんでしょうけどね。

で、業種で見ると、
前者はおよそ金融系の業務システム開発が多くて、
後者はおよそエンターテインメント系のシステムが多い。

まぁ、世の中の流れがそんな感じですね。


○褒めた後で否定する米国人。褒めも貶しもしない日本人。

アメリカのTVドラマとか見てると
「それは素晴らしいですね!」「この点は良いですね!」
と賞賛した後で、同じものを
「でも、私には必要ないものです」「私にはもっと良い案がある」
という感じで否定する表現がよくある。

ドラマだけなのか、実際よくあることなのかわからないけど、
日本人はそのどちらもやらないなぁと思ったり。

仮に、それがバカバカしい、くだらない、不要だと思ったら、
そんなもの最初から無関心だし、まして褒めたりもしない。
ただ、それを特別否定もしない。

それでもあえて意見や感想を求められると、
「良い意味で」とか「悪くはないけど」みたいな前置きをして、
それに対する否定的な見解を述べる。

良い悪いは別にして、これも文化の違いなんですねー。
(↑ほら、これ)


○なぜ、ヒューマノイドを求めるのか。

近年、ロボットの開発が凄い急ピッチで進んでますよね。

ロボットの定義というのも諸説あるんだけど、
「自律的に動作する機械」というのが私個人的なイメージかな。

それらは、それぞれある目的があって造られてるんだけど、
それが明確なのは産業用ロボット。

そうしたロボットは、例えばアーム部分だけあれば用が足りる。

ただ、最近流行ってきてるのはそういうのではなく、
人間の形をしたロボット、ヒューマノイドといわれてるやつですね。

例えば、介護ロボットなんかを考えると
これも要介護者を補助するアームと移動する為の車輪があれば
機能的な要件は満たしている。

そこに本来の目的には不要な、人間に模した頭部をつけたり、
移動するのも車輪ではなく二足歩行にしようとしたり、
あと、自然言語で指示命令(会話)できるようにしてみたり、
ぶっちゃけ“余計なもの”をつけようとしてるんですよね。

研究者や技術者の趣味、といってしまえばそれまでだけど。

私は、そういう“余計なもの”は必要だと思うんですよね。
それって、つまり“ロボットをより人に近づけたい”ってことでしょう。

人に近づけるというのは、ロボットそれ自体を人間っぽくする、
ということと、人がロボットに親近感を持てるようする、という
2つの意味があるんじゃないか。

哲学的なことをいうと、人間が人間らしいものをつくろうとする
というのは、実は自然なことかもしれないな、と思ったり。


○信頼。

今、本当に信用、信頼のおけるものって、何かありますか?

と聞かれて、即答できる人は幸せだと思う。

ただ、それはその信頼を裏切られたときの絶望と背中合わせ
という危険性も同時にあるんだよね。

でも、ある程度何かに信頼を寄せていないと
世の中なんてのは生きて行かれないというのも現実で、
そこで本当に信頼できる、それに値すると思えるものがある
というのは、ちょっと羨ましい。


○千両みかん。

最近、それってそんなに価値のあるものか?
と思えるものに異常な価値がつけられてることが多い気がするし、
その逆もまたよくあったりする。

私の価値観が世の中とズレてるのか。

しかし、ものの価値なんてのは大体多数決で決まるわけで、
それが市場原理ってことなんでしょう。

その市場を先読みするのは、ある種の博打。

大きな価値があると思ったそれは、
実は“ただのみかん”かもしれない。


○続・尖閣ビデオのこと。

今回の映像流出の騒ぎで思ったんだけど、
あれって、別に機密情報なんかではないんじゃないか?と。

例えば、民間人があのへんに船を出して
そこでカメラを構えてたりしちゃいけないんですかね?

「撮影禁止」みたいな立て看板とかないですよね。

いや、つまりね、ああした映像は
海保なり国交省の公式サイトとかで自由に閲覧できる形で
常に公開されてても良いものに思えてきたのよね。

国会の録画みたいな感じで。

てか、今の騒ぎっていろいろ論点がズレてる気がする。
(いや、私の観点がズレてるのか)


ガッと書いたけど、それぞれ1エントリにしても良い気がした。
まいっか。

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November 05, 2010

尖閣事件ビデオの件

話題のあれです。

国会で限定視聴のビデオとは別物、内部から流出の可能性強まる
(sankei.jp.msn.com)

震源になったYouTubeのは削除されてるようですが、
ニコ動の方は削除されてないので、今でも閲覧できます。

↓消えるかもしれないけど、一応リンク。(全編)

何かね、マスコミやら識者(?)やらは、口を揃えて
海保の危機管理が云々とか政治責任云々いってるんだけど、
作為的な可能性も感じるんですよね。

先月、渋谷であった大々的な反中デモは
あんなにしっかり報道規制してたのに、
今回はマスコミ挙って報道しまくってる。

反中デモは、事前に情報があったから
報道規制も事前に周知できたってことなのかなー。

そうでないとするなら、国会提出されたビデオの内容に
納得いかなかった内部の人間の仕業でしょうね。

いずれにしろ、これを個人的にやったのだとしたら、
その人はかなり体張ってるよね。
バレたら免職だろうし、下手したら犯罪者ですからね。

ここで危機管理云々とか言い出したら、
今の政権は最初から内輪話がダダ漏れ状態だったわけで、
指摘するなら、まずそっちからです。

そもそも、絶対見せちゃいけないものなのであれば
その映像はマスター(とバックアップ)だけで管理しないとダメで
内部的な回覧であってもコピーを許可しちゃいかんでしょう。

いずれにしろ、事実は隠し遂せない時代になったってことです。

さて、漏れた漏らしたの話ばかりじゃなくて、
肝心のビデオの内容の話。

まず思ったのは、どこが隠さなきゃいけない映像だったのか?
ということ。

これなら別に最初から見せても良かったんじゃないのか。

あからさまに向こうからぶつけてきてるし、
海保の非はどこにもない。

日本政府として公開をためらうべき理由は、
中国側の主張が認められるような様子が含まれていること、
或いはその可能性があること、でしょ?

見た限り、100%中国船に非があるじゃないですか。
どう見ても故意にぶつけてきてる。

これを隠さなきゃいけない理由って、何だと思いますか。

対中関係の悪化を避けるとか何とかより
処分保留であの船長を釈放したことの正当化、でしょう。

で、それって政局ですよ。

国家安全保障を考えなきゃいけない場面で、
政局の旗色を悪くしない為の意図が働いてるとしたら
これはかなり問題だと思うんだなぁ。

もし、今回のビデオ流出がなければ
今後も同じような政治運営される可能性があったわけで
(てか、これでも学習しない可能性も大いにあるけどネ)
その意味で、私は流出して良かったと思う。


追記:
↓動画を見た後でこちらもどうぞ。
【尖閣ビデオ】視聴議員コメント集
(sankei.jp.msn.com)

特に、小林興起議員と、福島瑞穂議員のコメントに注目。
一般国民が見ることはないと思って、なめられたもんです。

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November 04, 2010

米国とか中国とかロシアとか

あれ、秋がないよ?


○民主党大敗

民主党といっても日本のではなく米国のですが。

【米中間選挙】民主党、歴史的大敗 共和党が下院で過半数...
(sankei.jp.msn.com)

大統領選のときのオバマ旋風からすると、えらい冷めましたね。

今のアメリカ国内の最大の不満は雇用問題のようで。

失業率10%近くでほとんど動かないというのは確かに痛い。
国民の約1割が仕事がないってことですからね。

でも、雇用が安い国に産業が回っていったり、
機械化やIT化で人手のいる仕事が確実に減ってるということも
雇用が増えない大きな理由になってるはずなのだ。

不景気だけが原因ではないと思う。


○中国バッシング

そんな米国の選挙戦で、中国に産業を流した責任を
今の民主党政権のせいにするようなネガキャンになってたとか。

実際、中国の場合は、貨幣価値を不正操作してるとか、
共産主義国のくせに経済だけは資本主義まがいだとか、
中国国債を他国は買うことができないのに
中国は他国の国債を買うことができるとか、
国としていろいろおかしいことだらけなんだけど。

この話で、ちょっと前は日本が叩かれてたよね?
前の日本が今は中国になっただけだよね?
みたいなということをいう人もいるみたいだけど。

例えば、トヨタが自動車販売で世界1位になったあたりは、
別に国が何か無節操な政策で支援してたわけじゃなく、
普通に企業戦略とか経営とかが上手くいった結果で、
一時期の日本の好調は大体そんな感じだったと思う。

そのへんは、中国と全く性質が違うといっておきたい。


○中国は

そもそも、あの国自身の力があるから成長したわけじゃない。

何であんなに成長したかといえば、あの国の人口でしょう。
人口だけは名実共に世界一の国ですからね。
それだけで内需が拡がる可能性はもともとあったわけで。

雇用や地代やいろいろな要素が安いという素地があったところに
海外資本の流入を認めたとなれば、あとはどうなるか、
考えてみれば今の状況は自明だったといえるかも。


○中国に流入したのは...

資本だけじゃなく、技術や情報もどんどんあの国に入っていった。
海外技術は、確実にあの国の力を増強している。
その点は国にとってかなり好都合なことだったはず。

ただ、情報の方は国的に不都合なものも多かったようで。

ちょっと前まで、中国内の情報は
テレビや新聞などの既成メディアを政府が完全に制御していたので
世論自体を政府の意図した方に向けることができていた。

でも、最近は直接的にいろんな情報が海外から入るし、
中国もIT化が進んでインターネットも発達してきてるから、
テレビや新聞を抑えてるだけじゃ万全じゃなくなった。

とある中国人は、インターネットという手段を手に入れるまで
世の中で起こっている悪いことの原因は全て日本にある、
と考えていたそうですよ。(最近の産経の記事で見た話)

これは極端な例だったとしても、
要は、中国では、日本という国を良くいうことは許されず
日本を悪くいうことについては誰も否定しないということ。
となると、日本悪者説は公認でデファクトスタンダードです。

酷い話です。

それでもやっぱりあの国と無関係でいられなくなった以上、
そういう基礎がある国だということをまず把握した上で
日本人も他の国の人も付き合っていく必要があるってことね。


○それにしても...

うちの国ですよ。

あのオザワという人が国会に出て行くのを渋ってるのって、
もう国会を破綻させようという確信犯としか思えなくなってきた。

野党はそれがなきゃ予算審議にも応じないと強行姿勢で、
そういう態度で臨んでくることは彼も予測済みでしょう。

野党は、主に自民党だけど、彼らがここで折れたら
結果的にオザワ氏の国会招致を諦めたと受け取られるから、
また弱腰だと批判される。

といっていつまでも審議拒否してたら、
政治空白をつくっている、政局しかみなくて政治をしていない
と、逆方向から突き上げが来る。

与党の民主党も、このまま予算審議できないと
やっぱり政権運営が杜撰だ、政治根回しもできない政権だ
と、こちらもあまりおいしくない。

全部あのオッサンひとりの為にこうなってるんだけど、
一体どういう了見なんだって話で、上に戻る。

そんな本来的じゃないところでいつまでもゴタついてるから
他国からも甘く見られるですよ。


○背後からロシア

中国が図に乗ってきたかと思えば、今度はロシア。

露大統領 北方領土の他の島々の訪問も計画
(sankei.jp.msn.com)

あれは、メドベージェフ氏がプーチン氏をけん制するための
ロシア国民に対するポーズだという見方もあるけど、
それならなおさら、日本がダシに使われてるという意味で
いいようにされてるってことでしょう。

これも事実かどうかわからないけど、
太平洋戦争で日本が連合国軍に降伏しているにも関わらず、
現在のサハリン(旧樺太)で白旗を揚げている日本軍を
ロシア軍(ソ連軍?)は全滅させたという話を聞いたことも。

こちらは中国と違って昔の話と割り切れるかもしれないけど、
付き合っていく際は、もともと国としてそういうベースがあった
ということを、やっぱり認識しといた方が良いのかもね。


何とも、世知辛いのう。

とにかく、これはいうのもバカバカしいけど、
日本政府は、日本という国の政府であってもらいたいものです。

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