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May 30, 2009

ドアの謎

こないだ税金を払ったばかりだというのに
今日その車で久々に出かけようとしたら、
例によって(?)セルがウンともスンともいわない。

冬じゃないから大丈夫とほぼ1ヶ月乗ってなかったら
やっぱりダメでした。

JAF呼ぶにも、今は機械式の駐車場だから
他の人が出入りしようとなったときに迷惑がかかるよね。

平日に呼ぶか。

ちょうど来週、健康診断で仕事休むことになってるから
その日にでも。


ところで、そんな折、大昔の謎を思い出した。

中学生の頃の話だったと思うけど、
その日の朝、同じクラスの女子が

「ねぇ、きいてくれない」

というので、何か?というと

「私ね、車のドア壊しちゃった」

という。

漫画でいうと、頭上に「?」マークが出て
固まったような状態になったのを覚えてるんだけど、

「何で?」

と当然の問いを返すも、どうも要領を得ないのだ。

「さわったら壊れた」

どんなボロ車だよ。

てか、いくらなんでもそんなわけないだろう。

聞けば普通の車で、いつも普通に走ってたとのことで
もし、さわった程度で壊れるようなドアなら
走ったらどこかへ飛んでいくような状態だったはずだ。

壊れたといっても、どう壊れたのか。

そうだ。壊れ方にもいろいろある。

ドアが木っ端微塵に砕け散ったということは
いくらなんでもあるまい。

ちょっとこすってキズがついた程度だろうか。
何かをぶつけて凹ませてしまったのか。
それとも窓ガラスでも割ってしまったのか。

はてさて、どう壊れたのかと問うと

「はずれた」

と。

「それは、ドアが車の本体からとれたと?」

「うん」

それはまたえらいことだ。

ドアが車から分離する状況って、一体…。

少なくとも、そのドアは開いていたということか。
閉まっているドアを外力をかけてはずすなんてことは
おそらく中学生の女子にはムリだろう。

もともと弱くなっていたドアの蝶番かスライダーが
疲労しきって、ついに今朝ほど力尽きた
と考えるのが最も自然だと思うのだけど。

それにしても、
たださわった程度で壊れることはないだろう。

あなたはアラレちゃんか。

その話がその後どう展開したか覚えていないのだけど、
とにかく、車のドアを壊したといっていた女子がいたなぁ
という記憶だけが強く残っていて、
それを先ほど何の因果か思い出したと。

もはや30を超えた今の私の頭で考えても、
あれはやっぱり謎。

どうやったら車のドアを壊せるのか。

その朝、彼女が親か姉妹かとでも何かやりあって
その腹いせに無垢な車(のドア)に当たったところ
ガッツリ外れてしまったということだったのか。

実際は力いっぱい蹴ったか殴ったかしたのだけど
それを女子であるがゆえに「さわった」などと
おしとやかな言い回しで表現してたのだろうか。

何かにわかに気になりだしてしまった。

あ、すみません。この話、オチはありません。

ドアが壊れた理由などは、
今だもって謎のままなのです。


実はあれはどういうことだったのか、と
今の彼女に尋ねたら、どんな顔するだろうなぁ。。

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May 26, 2009

批評家

注文しちゃった。

 藤子・F・不二雄 大全集(ジャーン!)

やべー。お金ないのに。

でも、これは注文せざるを得ないでしょ。
しなきゃ非国民でしょ。(いい過ぎ)

実際、掲載作品は手持ちのものと結構かぶるけど
これはこれでまた別の価値があるのです。


ま、それはそれとして。


いつかの新聞の読み物の欄に、
日本文化には世界に誇れる良いものが多くあるのに
それがあまり世界に広がらないということに関して、
ある批評記事が掲載されてました。

曰く、日本人はアピールの仕方がなってない、
日本はあらゆるものがデータベース化されていない、
人に知ってもらおうという努力が足りない、
と、そんなような内容ですね。

例えば、全国地図。

アメリカの地図は州ごとにアルファベット順に綴られている。
アーカンソー州に始まってワシントン州に終わるという
並びになっていて、例えばフロリダの地図が見たい場合は
“F”の頁を開けば良いと。

ところが日本の場合、ABCや50音順ではなく
北から順に北海道から沖縄県までという並びになっている。
例えば神奈川県の地図が見たいといったとき、
どの頁を開けばいいのか検討がつかない、とのこと。

地下鉄の路線図も、これまた50音順やABC順ではなく
開通の古い順に銀座線から副都心線という並びになっていて
外国人にしてみれば非常に探しづらい、と。

これを評して、日本の情報はデータベース化されていない、
これでは外国人に日本のあらゆるものを知ってもらえない、
ということになるらしいんですが。

どうなんですか。

データベース云々って、私はあまり関係ないんじゃないの?
と思うんですけどね。

というのも、地図なら、アメリカほどの大きな国になれば
そういう索引のようなものも必要かとも思うんだけど、
日本地図程度なら、パラパラとページをめくっていれば
数秒のうちに目的の地図が探せる。

地下鉄にしても、そんな50音順にズラリと並べるほど
路線の数があるわけじゃない。

例えば東京メトロだけなら、全部で9本です。
これに都営線や他の私鉄を入れればもうちょっと増えるけど、
それでもひとしきり目で追っていけば探せるでしょ。

索引をつくらないといけないほどの数になれば、
さすがに日本でも50音順などで並べて表記されてますよ。
電話帳とか、一覧表にされるほどのものならね。

確かに、日本人はアピール力がないとは思います。
ただ、それは単に日本の国民性ということでも片付けられる。

自己アピールするということは、
いってみれば自画自賛するということになるんだけど
それは日本人の美徳感覚から控えられる傾向がある。

基本的に引っ込み思案なんですよと。

この記事に限らないんだけど、
いわゆる知識人とか呼ばれている人たちの意見の多くは
結構無理やりその原因と結果をこじつけてるんですよね。
それにモットモらしい屁理屈をつけてるだけ、みたいな。

というのも、ほとんどの場合、根拠が無い。

根拠として語られる内容の多くが
その人がそう思っているだけ、というものだったりする。

日本はデータベース化されていない、とかね。

いわれてみればそうかもしれないんだけど、
それが日本文化が世界に行かない理由にはならないし
その根拠にもならない。

まぁ、それを生業にしている人たちの記事なので
その仕事自体は否定しませんけど、
頭から断定的にそれを語ってるような内容になると
ちょっと鼻につくかな、と。

新聞とか雑誌とかテレビとかに出張って
したり顔でいかにも自分のいってることが正しいんだ
みたいな態度の人って、時々いますよね。

少なくとも、それが正しいと主張するのなら、
それをいうだけの根拠を提示すべきでしょう。
でなければ、「~という可能性がある」程度の言い回しに
とどめるべきだと思うんですよね。

ネット優勢時代といわれながらも、
既存メディアの影響力は依然大きいですから。

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May 23, 2009

グリーン化税制

昨日、前に契約してた会社の営業さんから
留守電が入っていた。

埋め込んだバグが今頃発覚したか?

なんて勘ぐったけど、聞いてみれば
また私に仕事を頼みたいと、その相談の話。

これ、素直に嬉しかったですよ。

普通はこちらから仕事を探すものなんだけど、
お客さんの方から仕事の話を持ちかけられたのは
初めてですからね。

最近は不景気で報酬まで減らされて萎えてたんだけど
フリーになって良かったと久々に思えた出来事だった。

ただ、今の仕事も途中で抜けるわけにはいかず、
惜しいけど今回はお断りということに。
また声をかけてね、といっておきました。


さて、この時期の憂鬱といえば自動車税。

払いましたよ。払いましたともチクショウ。

まぁ、それはいい。よくないけど。

今回、納付書と一緒にグリーン化税制のお知らせ
みたいな紙もついてたんだけど、
そこに泣きたくなる事実が書かれていたのです。

グリーン化税制というと、
エコカー購入者の税金が優遇されるということの方が
注目されがちよね。

平成17年排出ガス基準75%低減の車で、
燃費が平成22年度基準の15%向上達成車は25%減税。
25%向上達成車なら半分の50%減税となる。

これは新車購入から1年目限りというのがセコいけど、
まぁ、これは良いのです。

問題は、エコカーでない車の所有者に対する仕打ち。

新車登録から13年を超える車にかかる自動車税が
おおむね10%高くなる!

しかもこれは1年目だけとかではなく、恒久的に。

ショック。

いや、私の車は10年以上経ってるんだけど、
燃費に関していえば、最近のエコカーと呼ばれてる車
以上の燃費を誇ってるはずなんですよ。

何せ、走ってない!

いや、それは半分冗談だけど、
走っても10~15km/Lくらいは達成してると思う。

そのからくりは、私の車がMT車だということ。

最近はMT車というとスポーツカーのイメージで
燃費が悪いんじゃないかと思われるんだけど、
かしこく運転すればすごく効率的に走れるのよ。

ブオンブオン噴かすやつがバカなだけで。

大体回転数が2000から3000くらいのところで
あまり上がり下がりがないように安定させて走れば
そこそこの低燃費になる。

アホなAT車の制御だと、
必要以上に回転上げたり、逆に低回転になったり
短時間で高低の差が激しかったりするので、
必要以上に燃料を消費するんだと思う。

あと、アイドリング時ね。

MT車の場合、停車中はギアを切るのが普通。
(てか、切らないとエンストする)
でも、AT車は、ドライブのままだと常に前に出ようとする。
ニュートラルにすれば良い話なんだけど、
AT車に乗る人で、赤信号とかでニュートラルに戻す人が
どれだけいますかね。

特に停止、発進を繰り返す(渋滞の多い)街中の場合
これだけでもかなり燃費の差が出る。

いや、何がいいたいかというとね。

古い車に乗ってる人は十把一絡げに10%増税なのだ
という論理に納得いかんのですよ。

誰がどんな運転をするかなんてわからないし、
客観的に判断できる車両の経年で判断するしかない
というのも、まぁ、わからんではないんですが。

てか、これってエコロジーだけじゃなく、
買い替えを促して、新車販売を伸ばして景気回復を図る
という意図も少なからずあるんでしょうね。

反面、最近の車は高性能で
普通に乗ってれば余裕で10年以上無故障で走る。

何この矛盾。

ソニータイマーじゃないけど
13年経ったら壊れるようにでもつくられてない限り、
基本的に買い換える理由も必要もないんだよね。

私の車も、あと10年はいける勢いなんだけど、
10年乗ると考えて、39,500円の10%、3,950円が10年なら
1年分余計に払う計算になるのか。

1年分なら、堪えられない額でもない?

刑事コロンボのプジョーに比べれば
私の車なんてまだまだ全然新車なんだけどなぁ。

(あれと比べちゃいかんか)

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May 20, 2009

草食男子

このところ便秘気味なので
昨日ピンクのアレを買ってきて、寝る前に飲んだんですが
今朝、目が覚めても、ウンともスンとも。

寝る前に飲んで朝スッキリ、のはずだったんだけど?

なんだ、この薬も効きやしねーなッ
なんて思ってたら、出勤途中の電車の中できました。

いや、大変だった。。

てか、午前中は仕事にならなかったし。

便秘薬、平日に飲むのは危険ですな。


どんどん新しい言葉が生み出されている昨今にあって
そんなに新しくもない言葉だと思うけど
「草食男子」って言葉があります。

別に草食ってるわけじゃないですね。

ググればその意味するところはざっとわかりますが
要は、女性に無関心な男ってことですかね。

男は本性的に、本能的には女性に興味があるはず。

にも関わらず、ストレートに恋愛や性などの行動に出ない、
というよりは出たがらない男が増えてると。

女性は女性で自立心が強くなってきていて、
またこちらも男より自分の楽しみを充実させる
という方向に流れるようになってきてる。

そういえば、田舎ほど結婚する年齢が低く、
都会になるほど晩婚化するという話があります。

この理由、ナゼだと思います?

田舎の人にいわせれば、
田舎では他にすることがないんだヨ、だって。

結局、最近の人はやること、できることが多過ぎ
ってことなんでしょうかね。

何でも、興味を持てばある程度やることはできる。

なんと幸せな話ですか。

こればかりは、日本に生まれたことを
ラッキーだと思うべきなのかもしれない。

ただ、そうであるが故に
逆に、どの行動にも出られない閉塞状態になってる。

異性関係も然り。食も然り。その他の趣味然り。

大抵は仕事がメインで、それがなければ寝てるだけ
というのが草食たる所以なのかもしれない。

仕事で疲れる上に、オフでまた疲れたくない
というのが本音なんでしょうね。

てか、私がそうです。

趣味に走るのは良いけど
いったん何かにハマると、とことんやってしまうので
むしろ仕事よりも疲れることもある。

それがわかってるから、なるべく手を出さない。

殊に異性関係となると、それは楽しみと同時に
結構大きなトラブルのリスクも負うことになるので、
なるべく問題を起こさない方向で平和でいたい
特に男子にしてみれば、手を出さないに越したことは無い。

触らぬ神に何とやら、なんすね。

やることがそれだけだったら、
というか、他に行動の選択肢があまりなければ
確かに田舎者の論理で、やれることをやってる気がする。

でも、あれもやれる、これもやれる、
できるなら、あれもしてみたい、これもしてみたい、と
選択肢が増えてくると、逆に選べなくなる。

選ぶことすら疲れる、とか。

ロバの左右等距離にエサである干草を積んでおいたら、
そのロバはどちらを食べるか選べずに飢え死にした
という話に、似ていなくもないですね。

ロバは本能的には干草を食べたいんだけど、
全く同じ条件の選択肢(干草)が2つ以上あると、
いずれも選ぶことができない。

まさに草食ロバ、いや男子。


物でも欲でも、あまり増えすぎると
人の行動にもフレーム問題が起こってくるんですかね。

てか、人間も、所詮は機械ですか。

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May 15, 2009

科学ファンタジー

その老人に出会ったのは、 天山山脈の中腹のなだらかな草原だった。

アインシュタインの写真を見せると、老人はいった。

「自分がまだ少年だった頃、今と同じように羊を見ていると、
 この男がやって来た。」

アインシュタインと少年は何を話したのだろう。

老人の記憶はおぼろげで、なかなか答えが返ってこない。

ようやく彼は思い出したようにいった。

「石の話をした。石はなぜ落ちるのかと、聞かれたような気がする。」

重力の話に違いない。

「何と答えたのか。」

と聞くと、老人は
さっきからこちらをみている少年を指差していった。

「わしの孫にきいてくれ。」

「あなたに聞きたいのです。」

私は迫ったが、老人はいう。

「誰でも答えは同じさ。」

そこで、私は少年にきいた。

「なぜ、石は落ちるの。」

少年は答えた。

「石が落ちたがっているからだよ。」


( NHKスペシャル「アインシュタインロマン」より )

人は直感で何かを知る、ということがあります。

その裏づけや根拠は何もないのだけど、
そう知覚する、感覚する、といった方が良いかもしれない。

かつての数学者フェルマーは、自然数 n が 3 以上のとき
xn + yn = zn となる 0 でない自然数 x, y, z は存在しない
と直感した。

その論理的証明は、フェルマー自身の手によって
示されていたともそうでないともいわれているけど、
おそらく、彼がそれを思いついた時点で、彼の頭の中に
その論理的、数学的なロジックがあったとは考えがたい。

とにかく「そう感じた」のではないか、と。

数学の様々な公式や定理も、
物理学やその他の様々な自然科学における法則も、
最初から論理的に導かれたものがどれだけあるか。

その多くは、まず先立って、直感や思いつきがあり、
その後に、その真実性を証明するために
論理的思考が後続する、という因果をとっているものが
ほとんどなのではないかと。

とはいえ、普段からそのようなことを考えていないと
直感や思いつきが理論として明文化することはないのだけど、
理論になった時点で、それが誰でも理解できるということは、
実は、理論にならずとも、最初から誰でも知っていたこと、
ということになる。

人は、そういった科学理論を得る以前、自然に対して
様々な人格や意識、精神のようなものを見ていた。

それは、西洋のキリスト教や中東のイスラム教のような
あからさまな人格神を据えることもあるし、
東洋のように、森や水や風などという自然事象に
何か精霊のようなものが宿っているというような
漠然としたものもあるけど、その信心深さは同じでしょう。

昔の人は、そのようなものを直感していたということ。

それが人の間で語り継がれるうちに
次第に人間に都合の良い神様仏様に変貌してしまってるけど、
それらが宗教や思想となるより前、そう発想した段階では、
純粋に自然の中にそのような何かを感じたのではないか。

本当に理屈抜きで、真っ白な心で(これは無理だろうけど)
人間の精神、心というのは何か、と考えてみる。

それは物質的なものだろうか。

脳科学的には、人間などの高度な哺乳類の思考は
脳内の電気信号の連鎖によって発生しているのだ
と説明されるけど、これに素直に同意できるかどうか。

現象の因果関係だけを見れば、確かにその通りかもしれない。

しかし、その理屈を専門に研究している科学者であっても
その心のどこかに納得いってない部分があるんじゃないか。

例えば、脳内のある部位の神経細胞のつながりや
電気信号の連関によって「嬉しい」とか「悲しい」などの
感情が発生するということが解明されたとする。

しかし、それで「嬉しい」とか「悲しい」という感情や
それを創出する心というシステムについて解決した、
といえるだろうか。

動物の身体は、確かに物質です。

感覚に任せてみてもそれは素直に受け入れられると思うが、
それを感じたり考えたりしている主体たる精神自体も
物質に依存したものであるかどうかは、いかにもあやしい。

理性的には、物質であるはずだ、と思っていても、
感覚がそれを許さないという気がする。

もしかすると、物質には心や精神などのような
性質があるのかもしれないけどね。

とりあえず、人が「物質」と呼んでいるそれ単体や
単純な構造物には、心や精神はない、という前提でしょう。

それが何らかのメカニズムによって
何か精神的なものが生み出される、と考えられている。

実は、それは逆なんじゃないのか?
と、一度真面目に疑ってみても良いんじゃないかなと。

つまり、物質というのは、精神の形態のひとつか
もしくは属性である、ということ。

ファンタジーの世界では
好んでそういう考え方が採用されてるんですけどね。

人は下手に物質文明を得てしまったがために、
ものごとを遍く物質主体で考え過ぎてるという気もする。

まぁ、それを含めて真理なんでしょう。

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May 10, 2009

好き嫌い

プリごろ太って何だよ。


最近ネタがないので、前のエントリで書いた
ケンカの理屈について、もうちょっと考えてみた。

人間の主観の中には
「好き」と「嫌い」という区分けがあります。
同時に「良い」と「悪い」というのもあります。

これらは混同して扱われ勝ちだと思うんだけど、
客観的な意味としては別のものですよね。

でも、大抵の場合、
好き=良いことで、嫌い=悪いという見方になる。


私も人間だから、当然好き嫌いというのはあります。

著名人、有名人の中にも嫌いな人はいっぱいいますが
この日記も、どこで誰が見ているかわからないので
個人を指して批判することはなるべくしないように
してるつもり。。

ではあるんですが。

誰かを槍玉にあげた方が、こういう話はしやすいので
あえて一人あげると。

例えば、私は、江川達也という人が嫌いです。

これは、私が藤子Fファンだということを知ってれば
同時にそうだろうということも予想は立つと思いますが。

彼は漫画家なんですが、どういう理由かわからないけど
かなり理不尽な藤子F批判を展開してる人です。

「ドラえもん」は子供をダメにするんだとか、
藤子Fは腹黒い大人だとか、いろいろいいたい放題。

別に、氏が藤子作品なり藤子不二雄なりを嫌いなら嫌いで
それは勝手なんですが、そのことを、何故そこまでして
(雑誌メディアを通じてまで)悪態つく必要があるのかな、
と思うのよね。

彼の主張を端的にいえば、
のび太はドラえもんに頼ってばかりで、これは子供の欲望を
肥大させるので好ましくない、というようなもの。

これに始まって、ドラは偽善的な漫画だとか、
藤子Fは子供を食い物にしてるとか、善人ぶってるとか、
故に藤子Fは腹黒いとか、敵意(悪意?)むき出し。

一体、藤子Fが江川氏に何をしたというのか。

多分、実際は特に危害を加えられたとかいうことはなくて、
江川氏が藤子Fが嫌いだ、という感情だけだと思う。

それに何かモットモらしい理由をつけて正当化したいために
上のようなヘリクツを後付けしてるだけだろうなと。

江川氏は、ドラえもんを「嫌い」とはいっていない。
「嫌い」ではなく「悪い」といっている。

でも、それは実は「悪い」ではなく「嫌い」なんでしょう。
「嫌い」だから「悪い」ことにしたい。

多分、彼は「ドラえもん」をほとんど読んでないと思う。

ドラそのものではなく、世間に広がっているドラへの評価、
つまり、ドラえもんは教育的な作品であるといわれているが、
オレはそうは思わないね、ということを、世間へではなく、
藤子Fやドラ自体に対する批判にすり替えてる気がする。

とすると、完全に筋違いですね。

そもそも、ドラえもんはギャグ漫画です。
教育云々とか、そういう意図で描かれている作品じゃない。

単純に作品の内容を批判してるのだとしても
じゃあアナタの作品はどうなのよ?と小一時間。。

・・・というような話は、いろんなところで散々書いたので
もうこれ以上はいいませんが、とにかくそんな
江川達也という人間が、私は「嫌い」だということです。

でも、だからといって「悪い」という判断はできないのよね。

ここが、物事を客観的にみられるか、感情的になるかの
分かれ目になってくるのかな、と思う。

とはいえ、善悪ということ自体が主観的なものでもあるので、
好き嫌いが善悪に直結しやすいのは仕方ないのか。

ただ、いったん「悪」の烙印を押してしまうと、
その相手を他のものと同等に見られなくなってしまって、
その相手への攻撃や批判が正当化されやすい。

なので、「嫌い」、即「悪」と短絡するのは
なるべく抑えた方が、人生平穏に過ごせるんじゃないかと。
(人生?)

というか、まず自分がそれを「嫌い」な理由は何か?
と考えてみるのも、ものを冷静に判断する手立てかもね。

それがフィーリングのみ、だったらどうしようもないけど。

ちなみに、私が江川氏を嫌いな理由は(もう明らかでしょうけど)
彼が私の好きな藤子Fさんを悪人呼ばわりしてるから、です。

私は江川氏の人間性とか宗教とか個人思想とか、
そんなものは知らないし、それを知りたいとも思わないし、
それを下手に憶測して攻撃しようとも思いません。

とにかく、藤子F先生の悪口をいうようなヤツは嫌いだ!
てことで。

人を嫌いになる理由としては十分でしょ。

(アレ。なんか、メタ表現のメタ表現でメタメタだな。)


現実は、嫌いな相手を攻撃したがるのも人間の性で、
それを正当化する理由として、いろんなイイワケを
考えて主張したがるのでしょうな。

で、いつの間にかその相手は「悪」になってる。

これが個人同士であるうちは、勝手にやってれば?
といって看過することもできるけど、
ある程度大きな集団同士、或いは集団対個人となると、
いろいろ面倒なことになるのよね。

面倒くさいね。人間社会って。

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May 03, 2009

無題

私は音楽のことはよくわからんのですけど、
楽曲って、イントロ、A、B、サビ、C、で、アウトロみたいに
構成されてますよね。

そう、起承転結ってやつ。

で、世間のみなさんは、いろんなものに
この型を当てはめて考えようとしてるんじゃないか。

例えば、人生とか。

でも、全てにそれが適用できるかというと
きっとそうじゃないものもある、と思うのよね。

Aメロだけで終わってしまう人生もあるし、
いきなりサビ、ずっとサビ、ずっとオレのターン
みたいな人生だってあると思う。

いや、それはないか。

だから何だということは無いんですが、
みんな型にはまろうとし過ぎなんじゃないか、と
さっき風呂の中でふと思ったのでした。


あと、人同士やたらケンカしたがるよね。
それって何でかな?と。

とにかく、人は基本的に自分が正しいと思っている。

いや、自分が間違っているかもしれない
という不安や可能性は常に(潜在的に?)認めてるけど、
それを他人に見抜かれたり指摘されたくない
という気持ちもまた同時に(潜在的に)持っている。

でも、自分からみた自分よりも他人から見た自分の方が
自分という人間を客観的にみられている評価になるので、
他人からの突っ込みは結構当たってることが多い。

本人にあらかじめ自覚があれば、図星を突かれた状態。
自覚がないことを指摘されたら、あ、そうかも、と思いつつも
とりあえず否定したがる。

自分としてはそれを認めたくない。
というか、認めたら負けだと思ってるようなところがある。
というか、それを認めてしまうと、自分という人間が
根っから否定されてしまうようなこともある。

それが正論であればあるほど、感情的に反発しやすい。

まぁ、それをいう相手にもよりますが、
それが信頼できる人とか尊敬してる人などといった類なら
言われたことを無条件に信じちゃうのかもしれませんが。
(それもまた問題ですが。)

ただ、自分と対等か、自分より立場が低い
(と自分が思っている)相手にそれを指摘されると、
どうも反発したくなるというのも人間なんだろうと。

まして、それが自分が嫌っている相手であれば
なおさらムカつくってことになるでしょう。

そういう感情がまず入ってしまうから、
意見の内容自体は偏見を持ってしかみられなくて、
せっかく正しい視点、あるいは適切なアドバイスが示唆
されていても、それが活かされないというケースが
世の中には多いんだろうなぁ、と。

ということで、ケンカ多発、コトがスムーズに運び辛い。

なんてことを、
これはさっきトイレの中で思ったのでした。(失礼)


まぁ、どうでもいいですね。

それがわかったから(正しいかもしれないから)といって
これまでの生き方が変わるわけじゃなし。

ていうか、変えられない、といった方が適当か。


何でいきなりこんなことを書いたかというと、
風呂とかトイレとかって、なぜか不思議といろんなことを
考えるんです。いつも。何の脈絡もなしに。

でも、スッキリしちゃったら、それらのモヤモヤ思考も
スッキリ忘れちゃうので、いつかそのモヤモヤを
何か文章に固定してみようと思ってたのです。

で、やってみたと。

しかし、こうして文章に書き下してしまうと、
そのとき思っていたことと何か違う気もしてくる。

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