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January 28, 2009

喫茶店への道(2)

私の密かな夢は
小さな喫茶店のマスターになること。

なんですが、これはとりあえず夢であり
宝くじでも当たったら始めるか?
…程度のモチベーションだったりします。今はね。

でも、これから将来、
ずっとIT技術者としてバリバリやっていけるか?
といえば、どんどん歳もとるだろうし
これまでみたいにはいかなくなってくだろうなーとも思う。

そうなったときに、第二の人生として
こぢんまりとお店をやっていくのもいいかもなぁ…
と、ちょっと真面目に思い始めてたりも。

そんなわけで、
思い立ったときほどのやる気はないまでも、
そうなったときに向けて思ったことなんかを
メモ程度残していこうかな、ということで。


○必要なもの

食品衛生責任者の免許とお金。

あとは商売の知識とやる気、ですな。

衛生士の免許はわりと簡単にとれるものらしいので、
それほどハードルは高くなさげ。

以前思い立ったときに、ある程度の料理を出すとなれば
調理師の免許も欲しいかなーと思って、
調理学校の資料も取り寄せてみたりしてたんだけど、
その費用をみてゲンナリだったので、
まぁ、料理はいいやと、そこは割り切ろうかと。

コーヒーと紅茶と、ある程度の軽食ができれば。

あと必要なのはなんといってもお金ですわね。
先立つものがってやつです。

机上の知識は、
これから少しずつ勉強していくしか。


○どんな店にしたいか

そんなに流行らなくていいんです。

誰でもフラッと立ち寄って
コーヒー飲みつつ新聞や雑誌を読むなり、
軽く仕事や勉強をしてもらうなり、
とにかく気軽にスペースを使ってもらえる店。

私自身にコーヒーの専門知識もないし
これといって何か料理ができるわけでもないので、
飲食店としての機能は最低限を想定してます。

おいしいコーヒーを飲める店、というのではなく、
目指すのは、気軽に休息できる店、ですね。

私自身、コーヒーを飲みながら本でも読みつつ
時間を潰す、というのは
結構好きな時間の過ごし方だったりします。


○儲かるのか

目指すは上のような店なので、
ガッポガッポ儲けようという気はさらさらない。

ただ、自分が生活していけるくらいは
稼げないとマズイわけで、
そこはある程度現実をみないとダメなようです。

立地にもよるけど、
店舗の家賃や光熱費が月30万円程度、
コーヒーやお茶、パン、お米などの材料費が月10~20万円、
(軽食はそこそこに飲み物中心という想定。)
従業員も1人、自給800円程度で1日8時間、30日雇うとすると、
最低でも月60~70万円程度の売り上げは必要。

で、それはあくまで営業費であって、
自分の生活費も稼がないといけないわけで、
それは20~30万円程度は欲しいところ。

なので、月100万円程度の売り上げが見込めないと、
事業として破綻すると予想されます。

となると、客1人あたり平均500円の売りとするなら、
1日60~70人程度の入りがないと厳しいということに。

これ、結構多いよね。

朝7時開店、夜8時閉店の13時間営業という
普通の営業時間を想定をするなら、
単純計算で1時間当たり客は5、6人は必要。

それをどう確保し、どう維持するか。


○コーヒーショップじゃだめなのか

最近は、同じ領域に安いコーヒーショップや
マックなんかのファーストフード店が台頭してきてるので、
そんな中、純喫茶の経営というのはかなり厳しい。

それでも、回転重視のそういう店ではなく、
のんびり自分の時間を過ごせるような
古き良き喫茶店がいいなぁ、と思うわけで。

雰囲気ですね。

私が子供の頃、日曜日の夕方くらいになると、
親父が「コーヒー飲みに行く」といって出かけようとするんです。
で、私は決まって「僕も行く」といって付いて行ってた。

今にして思えば、親父は私がそういうことを見込んで
黙って出かけるのではなく、わざわざそれを告げてから
出かけようとしてたのかも。

そのときにいってた喫茶店で
親父は「ホット(コーヒー)」、私は「レモンスカッシュ」でした。
しまいには、注文しなくても店の主人はわかってて
勝手に持ってきてたりしてました。

大抵、親父は店の主人(知り合いっぽかった)と話し込んでて、
ときどきその会話の中で私のことをいじられているなぁ
と感じつつ、私はひとりレモンスカッシュを飲んでた。

そのときの何ともいえない喫茶店の雰囲気が
大好きというのではないけど、何か心地よかった。

喫茶店というのは、飲食を提供するというより
そういう雰囲気を提供する場所なんじゃないかな
と思うんですよね。

喫茶店のコーヒーがコーヒーショップに比べて高いのは、
コーヒー代+場所代があるってこと。


○どんな店にするか

コーヒーの味に自信があるわけじゃなく、
豆に詳しいわけでもなく、自慢の料理があるわけでもない。

客の回転よりも、ゆっくり過ごせるスペースでありたい。

とりあえず、今のところのイメージはその程度。

やっぱり、何か特徴というか売りがないと、
お店としてやっていくには難があるだろうということは
十分わかってます。

趣味のお店を持つ人もいますね。

音楽好きな人がマスターだったら、
マスターがギターとかピアノとか演奏してたり。

絵や美術品が好きな人がマスターだったら、
店に自慢のコレクションが並んでたり。

鉄道マニアとか写真マニアとか、
そういうマニア心のある人がやると、
店もそういう人が集まる場所になりやすいかも。

さて、私は?

お客さん、科学哲学の話でもしますか。
いや、ないない。

やっぱりフツーの純喫茶になるだろうなー。



…というような夢も、
一攫千金の夢(前のエントリ)と並行して
マルチスレッドで妄想していこうかな、と。

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発想力

男性用ブラジャーというのがあるらしい。

「やさしくなれるんです」―男性用ブラが人気
(itmedia.co.jp)

…どっから突っ込んでいいのやら。


世間はリストラの嵐です。

NECトーキンが社員(約2万人)の半分減らすらしい。
これに限らず、トヨタ、SONY、キヤノン、MSなど
かつて優良企業とされていた会社たちが
次々と大量リストラすることを決めている。

まぁ、会社経営がヤバイのはわかるんだけど
そんなに人を野にやって大丈夫なのかこの国は。

どうにもならん、というのが現実ですか。

こういうときに思うのは
やっぱり間引き機構があるのかもなぁ、と。

人間社会も自然の一部であることには違いないわけで、
そこにも自然界の摂理が働いていると考えるのは
おかしいことじゃない。


私が社員だった頃、
明らかに仕事してないオヤジども(いわゆる窓際組)が
社内に何人かいたんだけど、
そういう社内失業者がリストラされるのは
まぁしょうがないんじゃないの、とは思います。

ただ、マジメに仕事しているにも関わらず
あまり評価されず首を切られる社員たちは
理不尽というしかない。

私も、もしあのまま社員続けてたら
たぶんそっち組だった気がするので、
素直に同情します。

社内評価って、一回偏見ができてしまうと
ずっとその評価は尾を引くんですよね。

評価する人間と現場の人間との距離がある
大きな会社の場合は特に。


私は独立して正解だったと思ってるんですが、
それでもこんな不況になっては
個人(フリー)でやってるという弱い立場上、
空恐ろしいことには違いない。

当面は契約が切られるということはなさそうだけど、
それでも、半年後、1年後どうなってるかなんてことが
どこからも保障されていないのが自営業ってやつです。

まぁ、昨今は正社員であっても
この先々どうなるかわからん状態でしょうけど。


ピンチは最大のチャンス。

なんて言葉があるんだけど、
このピンチをどうにか儲け話につなげられないか
と考えているのは、私だけじゃないよね。

もうこうなったら、何か一発当てて
一生困らないようなお金をガポッとせしめたい。

ブラジャーはどうかわからんけど、
なんかそういう、誰も発想しなかったけど
出してみたら意外とウケた、みたいな商売って、
結構あるんじゃないかなと。

そういうのは大抵出してみるまでわからないので、
最初から売れる確信を持ってやれるものは
ほとんどないんですけどね。

いや、思うのは
ニコニコ動画ってあるじゃないですか。

あそこにポンと投稿された何気ない動画が
作者も予想だにしなかったくらい大ヒットすることが
間々あるわけですよ。

要は、イメージやアイデアであるうちは
ほとんどどーでも良い、くだらないものでも、
それが他人の目に触れることで評価される、
世の中に登場することで大きく注目を浴びる、
そういうモノがあるということ。

これは動画だけに限らないと思うのよね。

そういうジャストアイデアというか
ツボを得たネタというか、
そういうものを意図的に出していけるような
発想力が欲しいなぁと思うわけで。

でも、やっぱり「コレはいける」と思うものは
世の中に出すとやっぱりあんまりウケないし、
こんなモノが、と思っていたものが
出してみれば何故か大絶賛であったりするので
上手くいかないんだよなー。

それが簡単にできれば(わかれば)、
みんな金持ちですよね。

こんな危うい世の中にでもならないと、
なかなかそんなことをマジに考えようとは思わないので、
いろいろアホな発想してみてはいるんですが。

そう、堅実なやつじゃダメなんです。

アホなやつが良い。

いや、根っからアホではやっぱりアホなんだけど
アホっぽい、バカっぽい、でもスゴい。ウマい。
そういうものですよね。


んー。男ブラジャーはウマいんだろうか。

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January 25, 2009

簡単な宇宙論ほど難しいという話

目を閉じて横になるだけでも
睡眠の半分の効果はあるらしい。


今回は私の脳内メモなので
読んでもあんまり面白くない(意味不明)と思います。

私の思考ログってことで。


ディスカバリーchのホーキングの特集を見てて
なんか感覚的に違うなーと思ったこと。


宇宙はビッグバンから始まった。

しかし、その始まりというのは実は始まりではなく
ひとつの節目に過ぎないとのこと。

いわゆる無境界仮説というやつ。

宇宙の理論というのは
宇宙がどんな感じで構成されていったのか?
ということと、
宇宙がどう始まって終わるのか?
という、大きくこの2つを語ること。

後者の方が境界の話になるわけだけど、
ホーキングは、そんなもんないよ、といってる。

まぁ、それは良い。

もうひとつ。

超ひも理論ってやつがある。

超ひも理論自体はまだ仮設の域を出ていないけど、
これを支持する科学者は多い。

なぜかというと、
量子力学と相対性理論の両方の性質を
その理論の中に(必然的に)含んでいる
というところが一石二鳥感があって
科学者には“おいしそう”にみえるんでしょうな。

ただ、この理論は超対称性の理論を前提にしているので
そっちの論証がまず先決。

超対称性については
うわさのLHCによってその正しさを実証する動きがあるので、
実験が成功し、かつ余剰次元の存在が確認されれば
先に話が進められるってことになるんでしょう。

余剰次元ってのは
超ひも理論でいわれている3次元以上の次元のこと。
最低でも6次元は余計にあるはずだといわれている。

私たちの生活しているこの世界(の認識)では
上下、左右、前後という3方向の空間広がりとして感じる。
まぁ加えて時間をつければ4次元。

でも、さらに多くの次元があるはず。

宇宙というのは、いくとこまでいったら
行き止まりの壁があってそれ以上進めなくなってるのか?

なわけない。

地球上に暮らす私たちは
その球面上でどこまでいっても行き止まりになることはなく、
ずっと同じ方向へ進んでいれば
ぐるりと回って同じ場所にたどり着くことになる。

それを平面という2次元で考える限り
なぜ自分が同じ場所に戻ってきてしまったのか
その理由を知ることはできないわけだけど、
3次元の球という事実を知れば、
同じ方向へ進めば同じ場所へ戻ってくるということは
一目瞭然で理解できる。

宇宙を考えるとき
3次元という視野では狭いのであって、
もっと高い次元を考慮する必要があるんじゃないかなぁ
ということは、上の話から何となくわかる。

で、科学者たちはそのことに関して
「その余剰次元は3次元に住む我々にはみえないのだ」
というんですな。大抵。

でもね。

その余剰次元がみえない、というのは
感覚的にだけど、違う気がするのよね。

実は、見えてるんじゃないの。

見えてるのだけど、無視している。

あまりに当たり前すぎて誰も突っ込まない何かの中に
その答えがポトリと落ちてるんじゃないか。

そんな気がするんだよね。

いや、余剰次元の話に限らず
物理現象、というか自然現象というのは須らく
語られる以前から(最初から)そこにあるものでしょ。

ニュートンが万有引力の法則を見つけなくても
リンゴは上から下へ落ちるわけです。

もし宇宙がそのような構造であるとするなら
見つかってみて「あーそうなってるね」という話になる。

さすがに9次元とか11次元とか見えるわけネェ
と思うかもしれないけど、
見えるような(てか、解るような?)気がしなくもない。


宇宙は何もかも最初はひとつだった。

力も物質も空間も(時間も?)
存在するとされるいろいろな概念オールスター全部が全部
なにか唯ひとつのそういうモンだった。

という話から始まって、
そのパーフェクトなものがガチャンと音を立てて壊れて
力やら物質やら空間やらというものに分離した。

その力や物質もさらに何種類かに壊れてって、
どんどんいろんなものに分離していって今のような
いわゆるカオスな状態になったのだ。

今の宇宙論は大体そんな感じ。

宇宙を語るといった場合、
その成り行き(壊れ方)を語ること、
つまり将来どうなるかを語るのと同じになるんだけど、
それと、その壊れる前がどんな状態だったか
ということを語るという仕事がある。

それは、上で書いた成り行きと境界ということと
同じ話になると思うのだけど。

で、どちらかというと、
壊れる前を追求する方に苦戦してると思うんだけど、
もとがそう複雑なものでなく、シンプルなものであるなら
予想以上に簡単にソレを見ることはできるんじゃないか。

エライ歪な格好をしたガラス細工が壊れたら、
それがもともとどんな形をしていたか知る術はほとんどない。
でも、だたの球形をしたガラス玉だったとしたら、
よほど粉々に砕けていない限りは
何となーく丸いんじゃね?ってわかるんじゃないか。

あー、逆かなぁ。

ちょっと複雑な形をしていてくれてた方が
元の形に組み立てやすいのか。
真っ白なジグソーパズルが難しいのと同じで。

どこまで壊れているかにもよるかも。

とにかく、人間の思考って、どうもデフォルトで
すんごく回り道をするような回路が組まれてるような
そんな気がする。


実は、猿や犬猫の方が、下手すると虫や植物の方が
宇宙の真実を知ってたりしてね。

実際、総体として人間は賢い生き物とは思えないよなー。。

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January 23, 2009

だれのせい

さて、オバマさんどう出るか。


今日もぼやきです。

これは最近なのかずっと前からなのかわからないけど
人って何でも自分でモノを決めたがらないよね。

人というか、日本人が、かな。

何かと重要な判断を人に委ねたがる。
そのくせ、その判断を信じきることもできない。

自分で決めて失敗したら
それは自分のせいでしかなくなってしまうから、
何かあったときには人のせいにできるように
最初から責任転嫁しておくってことなのか。

だからいつまで経っても仕様が決まらない。
あ、それはこっちの話。。

モノを決める決めない以前に、
とにかく自分が悪い立場になるリスクを負いたくない
という気持ちが本能的にある人間は
最初からその保険を立てておくクセがある。

それ自体は悪いことではないのだけど、
それを“人のせい”にすることで
自分の責任を軽くしようとするのは良くない。

道徳的に、常識的に考えて。

人に責任を負ってもらって、
それに恩を感じたりありがたいと思ったりする人なら
まだ人間としての理性があるのだけど、
その相手のせいにすることが当初の目的である場合、
大体自分が悪い目にあったときにその人を責める。

つまり、自分で決めたくないから
その人に決めてもらった(やってもらった)のに、
その決定なり行動が失敗だったとき
そこで自分に不利益が発生すると、
それをやった人が悪いことにしてしまう。

なんでこんな話してるかってと、
今年から異動した先の職場にいたんです。
トンデモナイ人が。

それが、まさに上に書いたことを
そのまま体現してるような人なんですな。

具体的にはどんな人か。
まぁ、あえて書きませんが。
(知りたい?)


そういえば、最近の話し言葉って
語尾が上がるよね。

 …じゃない? …くない?

あれじゃない?それじゃない?バカじゃない?
おかしくない?かっこよくない?よくない?

本来、「…ない」という言葉は
その前の言葉を否定する意味の言葉だけど、
それを疑問形にすることで、逆に前の言葉を肯定し、
相手にその決定を委ねる、或いは同意を求める
そんな意味になる。

 彼はバカじゃない

といえば、彼はバカではない、という意味だけど、

 彼、バカじゃない?

といえば、
(私は)彼はバカだと思うけど、あなたもそう思わない?
という意味になるんですな。

(ことばおじさんだ。)

で、最近の(多分日本人の)話し言葉は
ほぼこの疑問形(のような問いかけ)で占められている。

根底でそういう文化が根付いてきてるから
無意識に(本来自分が負うべき)責任までも人に委ねたがる
そういう社会になってきてる気がするのですよ。

そう思わない?
(↑ホラ。)

独断、思い込み、独りよがりも良くないけど、
その疑問形って、相手に確認を求めているようで、
実は、最初から自分の判断が正しい(だろう)という前提があり
その上で責任を相手に投げているような状態じゃないか。

仮にその相手に否定されても、
やっぱり自分はそれが正しいと思っていることが多い。
(大抵は相手の相槌をもって肯定と受け取るんだけど)

だから、独断、思い込みを助長する疑問形
だと思うんですよね。

(思い込みで)概ね自分は正しいと思っていることを
一部、或いは全部相手に決定させて、
仮にその考えが間違っていて失敗した場合は、
その相手にも責任の一端が(或いは全部が)ある
ということへ持っていけるようにしている。

その背景には、自分が正しいと信じているものに
自信が持てなくなってきてるってのもあるんでしょう。

というか、自分はそれを正しいと思いたいのだけど、
それを信じて失敗する可能性も否定しきれないので、
もし失敗したときに、自分が全て悪い
ということにならないようにしたい、ということ。

昔は自分の周囲に集まる情報が少なくて、
それが良くも悪くも自分の知識が正しいと確信できる
(それが仮にタダの思い込みだったとしてもね)
までの時間が短くてすんでた。

だから、比較的早く自分の判断で行動に出ていた。

でも、最近はいろんな情報が集まるようになって
失敗事例なり、不安要素なり、いろんな悪い可能性の情報が
人の行動を怯ませてるって気がしなくもない。

だから、成功者の轍を踏みたがる、
先に人を行かせる、自分独自の道はつくりたがらない
そんな雰囲気があるんだろうなぁ、と。


本当のところは
自分自身のオリジナルの成功をしたいクセにね。


てことで、オバマさんどう出るか。
(よし、繋がった?)

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January 17, 2009

一院制

満席の吉野家でひとつだけ席が空いてると思ったら
そこにコートとカバンがドサッと置かれてた。

その横で悠然と牛丼を食ってるオヤジに

「そのカバンはオマエの彼女かッ!」

と(心の中で)叫んでやった。


政治家の中には、議会を一院制にしようぜ
っていってる人がいるらしいですね。小泉さんとか。

そろそろ引退しようって政治家が
今さら何を勝手なことを、と思う向きもあるけど
私は賛成ですね。

日本の場合は参議院と衆議院の二院があるのだけど
そもそも、なぜ議会が二院制なのか。

主な理由は、偏りのない様々な意見を保つ為。

下院である衆議院は最大4年で改選され、
総理大臣の判断で任期途中でも解散し総選挙できる。
(ていうか、衆議院が最大任期4年持つことは稀。)
これでその時代にあった意見を持つ人の意見を取り入れられる。

上院である参議院の任期は6年と衆議院より長く、
かつ衆議院のような途中解散もないので
安定した意見によって一時的で安易な政治を防ぐ。
(ただ、参院は衆院よりは権限は弱い。)

大体こんな感じでしょう。


でも、今の国会でその目的は果たされているかどうか。

ぶっちゃけ、参院も衆院もコアなメンツはほぼ同じ顔ぶれで
どっちも国会の常識に固まった参議院状態でしょう。

解散総選挙をしたからといって、
そのメンツが総入れ替えになるなんてことはまずないですから。

しかも、議員の考えることなんてみんな似たり寄ったり。

一見、政党ごとに違う意見や考え方があって
お互いに政治政策論争しているように見えるんだけど、
殊に政治ということについていってる内容は
どの党もほとんど変わりませんよ。

どっちかというと、政党同士がお互いの粗探しをして、
何か非があればそこを攻撃しているだけ。

そもそも、政党ごとに同じ意見であるという前提なら、
その議論の場は1つで良いでしょう。

だって、同じ議題で同じ意見を持った勢力同士が
2回議論するなんてムダでしょ。

しかも、衆議院の方が強いから
参議院で否決されても結局衆議院で再可決できる。

それなら最初から衆議院1つでいいじゃないか?
って話は随分前からいろんな局面で指摘されてたことです。

一院制にすれば、

 議案、法案について議論されるのは1度。
 議決のスピードアップによりコストダウン。
 議員も減らせるので、選挙資金や給与なども削減。

と、かなり経済的な政治になるじゃないですか。


二院制というのは
もともと、安易で危険な政治を防止する(参院が歯止め)
という機能を持たせるために採られたもので、
例えば、下院でその時の情動で戦争することになっても、
上院で「待ちなさい若人よ」とストップをかけられる、と
これは話が極端ですが、つまりはそういうことでしょ。

でも、その機能ってほとんど無いに等しいですよね。

ていうか、無い。

機能してない二院制なら、
いっそ一院制にしてコストダウンした方が
よほど国のためになる。


まぁ、いろいろ理由はりますが
やっぱり私が一院制に賛成する最大の理由は
議員の数が減らせるからです。

衆院480人、参院242人。合計722人。

彼ら全てに年間3400万円以上の給料が支払われる。
給料以外にも様々な議員優遇があるのは周知の通り。

だから、国会議員の給料だけで
安くても(単純計算で)3400万円×722 = 約245億円。
(さらに、議員優遇の為に使われる経費もある)

これが半分になるだけで
最低でも120億円そこそこの国庫支出が浮くわけです。


政治となると、私はこればっかりいってる気がするけどネ。

もし一院制の動きが出るのなら、
マジで、本気でやっていただきたいです。

消費税アップとかいう前に、まずそこだ。


実際、現状でも税金はシャレになってない額ですから。

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January 10, 2009

銀河の中心に

今年は世界天文年だそうです。

ブラックホールが銀河を生む? 米国天文学会で新報告
(wiredvision.jp)

銀河の中心にはBHがあるらしいということは
天文学で一般的な見解になりつつあるようですが、
BHが銀河を生む、というのは新しいということですか。

銀河がそこにできた結果として、その中心に
BHが生まれるのだろうというのは容易に想像がつきます。

銀河の中心は重力の巣窟でしょうからね。

でも、これあまり新しい考え方のように思えないのは
私だけですかね。

銀河といわず、この宇宙そのものが
そもそも高エネルギー状態から進化したものなんだから、
その子供ともいうべき銀河がそうであっても
何ら驚くことじゃないんじゃないかと。

多分、そういう予想は前々からあったんだけど、
その証拠となる事実が今回観測されたってことですかね。


銀河というのは、端的に言えば星の集まりです。

星が集まるからには、その原因もある。

均等にバラけていた星たちが、どこかでそのバランスを崩して
ある1点を目指して集まり始めると。

こういう現象は、宇宙みたいな大きなレベルに限らず
日常のいろんな局面でも見られる現象ですね。

人間の集まりなんてまさにそうで。

都市に人が集まるのは、そこに人が集まっているからなのか、
最初に何か人が集まる要素がそこにあったからなのか。

原因が何であれいったんそういう傾向ができると、
モノが高いところから低い方へ転がっていくように
雪だるま式にその方向へコトが流れていく。

モノが集まるという動向はその典型。

こういう話が出てくるたびに私が思うのは、
何が自然なあり方なんだろうか?ってことなのです。

みんなトントンで均衡しているのが自然なのか、
均衡が破れてある方向へ動いているのが自然なのか。

エネルギー状態でいうなら、均衡状態というのは、
エネルギーが最も高い(均衡が破れる前の)状態か、
若しくは最も低い(エントロピーが極大)の状態かのいずれか。

宇宙はそのエネルギーが高い状態から
低い状態へ遷移している過程にあると考えるなら、
今現在は均衡が破れて動いているのが自然な状態、
となるんでしょうね。

でも、これはいつか行き着く状態へ行き着くのか。

その終着時点では
みんなバラけてトントンになって動かなくなってしまった
いわゆる“熱死”という状態が自然ということになる。

なんかね。

今の人間社会も、どんどん低い方向へ転がっていってるようで
そのうち社会が“熱死”するんじゃないか?
なんて飛躍した発想もしてしまうのですよ。

科学文明、知的文明は発展しているようで
実際はやはり熱力学的な物理法則に逆らえないんじゃないか。

社会学に直接物理学の考え方をひっつけるのはトンデモだ
といわれるんですが、そんなことも案じてしまう世の中ですよ
ってことです。

実際、人間も増え過ぎですよ。
(なんていうと、いろいろ問題があるんだけどネ)

このまま文明発達を続けようと本気で思うなら、
ホーキングじゃないけど地球外に住むことを
そろそろマジメに考えなきゃならない時期にきてますよ。

でなきゃ、このままでは
地球は人間に押しつぶされてしまいます。


BHも、銀河を発達させるだけ発達させて、
しまいには結局その銀河を飲み込んでしまうんじゃないかしら。


…なんてことを思った世界天文年の新春。

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January 03, 2009

謹賀新年

一応、書いておかないといけませんか。

明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

(これで年賀状の代わり。)


現在実家なのですが、
年末年始をまるっと実家で過ごしたのは
実はここ数年なかったかも。

こちら(鳥取)は大晦日から正月三が日
ずっと雪(または雨あられ)です。
こんなに降ってたもんだったか。


家は相変わらずの日常が流れているよう。

おせち作って餅つくって、
玄関にみかんのついたアレ飾って、
神棚に紙のヒラヒラをつけて、
車にもワラのアレをぶら下げて、
そういう風習はずっと変わらない。

それらに何の意味があるのかは
もう特に考えもしなくなっていて、
そういうもんだってことで話が済んでるんですな。

正月に限らず、何かの節目のイベントでは
必ず何か宗教的な儀式が入ってくるんだけど、
それって、心の区切りをつけたいからなんですよね。

それをやっておけば日常でいられる、
そういう安心感を得られるというか。

もともとは何か意味があったことなのかもしれないけど、
それが日常化することで本来の意味は忘れられ、
その行為そのものが意味を持ってくる、ということが
世の中には結構ある気がしますね。


年明けにぼーっとそんなことを思いつつ、
こたつで寝正月であります。

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