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July 29, 2008

気の持ちよう

弱冷房車に乗ったら、
外気と体感温度がかわらなかったんですが。

エコ?エコなの?


存在しなければならないから、存在するのか。
存在したいから、存在するのか。

昔うちの実家には、コロという犬がいました。

コロは、まぁ最初から飼われたいと思って
うちに飼われていたわけではないんでしょう。
しかし、いったん飼われてしまったからには、
もうその運命から逃れることはできない。

そこでコロは何を思ったか。

飼い主に相手にされることを喜びと感じ、
常に飼い主の気をひこうと頑張る日々を過ごすのか、
飼われているということがイヤイヤで、
仕方なしに飼い主に従う日々を過ごすのか。

そのいずれの場合も、
結局のところ、ずっと庭に鎖でつながれている
という状況はかわらないと。

ただ、その状況をどう捉えるかによって
同じ日々の感じ方も変わってきます。

人も一緒なんすよね。

生まれたくて生まれてきた人はいないでしょ。
なぜかわからんけど生まれたんでしょ。
で、今ここにいると。

こうなったからには、
ある意味開き直って生きていくしかない。
卑屈になっても始まらない。


ちなみに、何かコトが変化するときというのは、
それ以上同じ状態を維持できなくなったとき、です。

当たり前ですが。

人が生まれる、ということも、
それ以上母親の胎内に留まることができなくなったから、
ある意味仕方なしに出てくるのだと。
(で、死ぬ場合も同様。)

社会は随時いろいろな変化に見舞われてるんだけど、
それは、社会が変わらざるを得ないから変わっている、
変化すべくして変化しているとも考えられる。

今いろいろ妙な事件が起こってるんだけど、
あーそれらも変化の一過程なんだろうなぁ、
なんて考える気分にもなってたり。


それにしても高いよ。物価。
いくらなんでも変化し過ぎ。

アホか。

急激な変化は、何もいいことないですよ。

いえね、そろそろ帰省ということで
その最安ルートをいろいろ調べてるんだけど、
空路を調べてたら、
実家に帰るよりもオーストラリアに旅行する方が安いとか。
(この海外便も安いんだろうけど、国内便も高過ぎって話)

どゆことですか。

オーストラリア行くか。もうこの際。

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July 27, 2008

水栽培

エアコンのフィルタ掃除したら、すごくよく効くようになった。
しかも、めちゃくちゃ静かになった。

掃除って大事だねッ!


科学文明社会の中に浸かっている人間は、
水と必要な養分だけ与えられて花を咲かせている
ヒヤシンスのようなものなんじゃないか。

植物は本来土壌の上に育つもので、
その土の中に必要な水や養分が含まれています。

水耕栽培というのは、
その植物に必要だろうとされている養分を
その水に溶かし込んで育てるわけだけど、
土の中には、知られている以外にも必要なものが
もっと含まれているかもしれない。


何かね、みんな本当は何も分かってないのに、
分かったようなふりをしてるような人が多い気がする。

多いというか、人はみんなそうかも。

何か分からないことが起こると、
とりあえず心の安定を図るため(だけ)に
後付けで自己満足できるだけの理由をつけて
仮の納得をしているんじゃないか。

分からないことばかりじゃなく、
分かりきっていると思っていることでさえ、
実は本当のところは分かっていない。

ロシアの文豪トルストイがいうには、
人が本当に理解できているのは
自分の幸福についてだけなんだそうです。

逆に、成り行きだけの物理的事象は
本当のところはほとんど理解できていないはずだと。

妙な話よね。

だって、科学が最も得意とする分野である物理事象を
人が最も理解できていないものだといい、
科学が最も苦手とする人の心や念のようなものが、
実は人が最も理解していることなのだ、というんだから。

物理的事象というのは、
人の理解から遠くかけ離れている為に単純にみえる、
のだそうで。

例えば、かなり複雑な様相を呈している月面も、
遠くから眺めれば単に白く光る球体にしかみえない。
自然科学と呼んで学者たちが研究していることは、
須らくそれと同様なんだと。

まぁ、幸福を理解している、といえど、
自分のやりたいことには無意識に傾向できるというだけで、
実際それを意識的に理解しているとは
私には到底思えないんですがね。

いや、理解しているけど理論化(というか文章での表現)が
できないというだけなのかも。

水の上に浮いているヒヤシンスの球根だって、
それで花を咲かせることはできるかもしれないけど、
それがその植物としてあるべき姿なのかどうか、
本当のところはわからんわけです。

本来の植物は、土の上に育つはずのものだもんね。

人間も、本当は土の上にいなきゃいけないんじゃないか。
理屈では分からない何かがそこにないともいえない。
というか、必要な何かがそこにありそうだ、
みたいな感覚ってあるよね。


まぁ、エアコンが効かない理由は、
カバーを開けてみたら一目瞭然だったわけですが。

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July 23, 2008

オトナの話

ピカチュリンはねーよ。


最近、学校の先生が危ういですね。

教育現場があんなに汚職だらけでは、
子供の人間不信は増長するばかり。

私が子供だった頃は、親や先生という大人って
必ず正しいはずの絶対的存在だったんですけどね。
実際そうであるかどうかに関わらず。

そもそも、大人って、何ですかね。

私はいつから大人になったんだ。
いや、まだ子供なのか。

子供と大人の線はどこで引かれるのか。

法的には20歳で成人とされるけど、
そんなのも人が勝手に決めたことで、
生物的には早ければ10代前半で成熟している。

ただ、それが人間として成熟している年齢であるとは限らない。

まぁ、子供が出来れば、
その子供からみたら親は大人ということにならざるを得ないんだけど、
それも相対的な話であって、
親イコール大人といって良いかどうかは疑わしい。

従来は大人が上から目線で子供をしつけてたんだけど、
実はそんな大人も絶対正しいわけではなく、
生身の人間としては子供と同じ弱く不安定な存在なんだ、
ということを前提しなければならない、
そんな時代になっていきているのかもしれません。

昔は大人の事情、というか真実なんかは
子供の目から覆い隠されていてんだけど、
最近は情報インフラの高度化のおかげで
大人の汚い事情も子供に駄々漏れ状態です。

なんだ、大人だって悪いことしてんじゃん。
それなら自分もやって良いよね、
となる子供が現れてくるフローは容易に想定できる。

こうなってしまったら、もう開き直るしかない。

つまり、大人も子供も一緒なんだと、
最初から対等な立場で接していかにゃならんのでしょうと。

年齢が大きければより経験を積んでるわけだけど、
逆にいえば、子供と大人の違いはそれだけです。
経験を多く積んでいればエライって話にはならない。

経験のない、或いは少ない子供には子供の
新鮮な視点や思想があるわけで、
そういうことが大人に影響することもあるだろうと思う。

とにかくですね、
大人が片意地張って子供を指導する時代は終わったんじゃないのか、
なんてことを最近もーんと感じてるのです。

風紀に厳しいあの先生だってオナラするわけよ。

(いや、オナラは関係ないけど。)

完全無欠の人間なぞ存在しない、
ということは、もうとうの昔にバレてるのです。
今さら自分のいうことは正しい、従えなどといったところで、
それを素直にきく子供なんて最近いますか。


だって、ピカチュリンですよ。
どうなのよこれ。
それがnatureに発表されるって面白過ぎるだろ。

まぁ、とにかくそんな時代になったってことです。

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July 16, 2008

Unknown

私は私だ、と思う方が楽なのか、
私は私ではない、と思う方が楽なのか。


マイクロ波で脳内に音を発生させる兵器『MEDUSA』:「サブリミナルメッセージも」
Wired Vision

メデューサ。

サイコ・マンティスを思い出すのはMGSのやり過ぎですか。

兵器としての利用が目的で開発されている技術のようだけど、
これが実際に可能なら、ちょっと怖い。

脳に直接情報を叩き込むことができるって、
それが一瞬の画や雑音程度の限定的な情報とはいえ、
一時的に意識の一部に介入できますよ、ということよね。

兵器としては戦場でのみ使用します、
と宣言しても、実際は民間利用も可能な技術なので、
商品宣伝などに日常的に使用されるようになるかもしれない。

軍事目的に開発された技術が民間利用されるということは、
もう常識化してるしね。
(インターネットだって、もともと軍事目的の技術です。)

それにしても、
意識や精神の何たるかがよくわかってないのに、
こう作用すれば、その結果どうなる、ということだけは分かって、
その結果だけが利用されるという技術の潮流は、
一部だけど、ちょっと危ないものを感じるのです。

旧来の機械を相手にした技術は
大体その原理を理解した上に技術がのっているので、
その技術によって起こりうる危険を予想したり、
その回避策も立てようがあるわけですが。

最近の主に人間(というか生物)を相手にした技術って、
そのほとんどが(原理はともかく)入力と出力をみてどうだ、
という知識じゃないですか(実証論というか実験論)。

漢方薬は長年に渡る幾多の人体実験の上にある知識だ、
という話を聞いたこともあるけど、
上のメデューサも似たようなもので、
こういう電波を流したら、どうやら何か精神的効果があるっぽい、
という類の技術。

そんなこといったら、
地球温暖化だって明確な原因は分かってないじゃないか。
二酸化炭素増加が影響してるというのも統計論の話だろ?
となるのだけど、その予想に基づく行動や対策のほとんどは、
おそらく環境や人間にとって悪いものではないわけで、
そういうのは大抵問題ない気がするのね。

問題なのは、悪影響が出る可能性が高いにも関わらず、
一部は良い効果をもたらすことは(実験的に)わかっていて、
その一面だけに期待して打算的に使われる技術、
といえばいいか。


何も知らない子供が銃を手に取ってるような状態。
そんな比喩があったね。

といえど、好奇心が強いのも人間であるがゆえ。
確かに、兵器以外にも何か有用な効果があるのかもしれない。
どんな技術もそうだけど、
はしりのうちはなるべく慎重に、ってことですかね。

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July 09, 2008

現実懐疑

駅に着いて定期忘れたことに気づいたときの
その悔しさたるや。。。

(3ヶ月で5万円近い定期だけに)


今朝、夢を見ました。

それがね、すごく現実味がある夢というか、
いやこの現実からして現実味は全くないんだけど、
夢の中では現実的だったというか。

私は何かから逃げてました。

なぜ逃げてたのか、また何から逃げてたのかわからないけど、
とにかく階段を上って、その建物の行き止まりまで逃げて、
屋上に出る扉みたいなところに追い詰められたのです。

その扉は開かない。

で、私を追い詰めたその何者かが、いきなり針千本攻撃。
何の脈絡もないのが夢なので、それ自体は驚かないけど
とにかくそれで私の体は針だらけに。

世界びっくり人間みたいな状態です。

まぁ、痛いですよ。
痛いと思います。
多分痛かった。

ああなんてことだ、とその針を抜こうとするのだけど、
全部は抜けず、アイテテテみたいな。
(リアルならアイテテテどころではないんだけど)

これヤだなー。夢じゃないかなー。夢だといいなー。
きっと夢だなー。夢覚めないかなー。

なんて思って、夢よ覚めろ!
と目を開けたら、自分は布団の中で、
その針千本はホントに夢だったという
山田正紀のSF的なノリの展開に。

えーと、何が要点かというと。

大抵の場合、それが夢だといいなぁと希望した段階で
それは夢ではない(現実である)ことが多いのだけど、
今回は逆で、まず自分がえらく苦痛な状態に置かれていて、
頼むから今この状況が夢であってくれ、と強く願ったら、
それが“実現”した(本当に夢だった)という点。


実は、今この状態も夢だったりしてね。

デカルトは方法的懐疑の中で、
夢と現実を区別する確かな証はないということを
現実に対する最終的な懐疑理由につけてるんだけど、
実際のところ、ホントにどっちなんだかわからない。

てか、人生は結局夢オチかも。

この現実も、あちらの世界(?)では
全く非常識で非現実的な世界かもしれないしね。
そもそも、常識的な世界ってどんな世界だよと。


とりあえず、針千本は夢で良かったです。

(ついでに、定期忘れも夢だったら良かったのに。)

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July 08, 2008

サミットとか

フェデラー頑張った。

途中、雨中断で寝ちゃったんだけど、
その時点で2-0で負けてたのよね。

まぁ結局負けたんだけど、
あのあと2セット挽回してたのがすごい。

ぷよぷよでいうと、
最後1マスしかないところまで埋まった状態から
10連鎖くらいの山が起爆したみたいな。
(いや、よくわからない。)


あきらめたらあかんね。

負けたけど。


さて、サミットだかなんかで
街中が異様な雰囲気になっております。

これね、特にこの時期でなくても、
いつでもテロとか起こる危険はあるのよね。

電車の車内放送や駅構内放送とかで
「不審物や不審な人をみたら係員や警察に通報を」
なんて呼びかけてるんだけど、
そんなこといったら、みんな不審物や不審人物だし。

むしろ、不審人物だらけ。

なんか、この状況、
すごく間抜けに思えるのは私だけですか。

それでも、何も対策しないでコトが起こっちゃうと
市民からも国際的にも非難があがるだろうから、
ひとつのポーズとして警備を強化しているのだ
という見方もあったりするのかね。

テロってのは、
いつ誰がどこで起こすかわからないものなのです。
それこそ予告でもない限り、基本的に防ぎようがない。

テロじゃないけど、
秋葉原の切り裂きジャック事件をみても思ったことで、
あんなことは誰でもその気になればやれるわけです。

ダガーナイフの販売が規制されたり、
秋葉原の歩行者天国が中止になったり、
なんてのもほとんど無意味で、
ダガーがなければ果物ナイフで十分コトは足りるし、
秋葉原がだめなら渋谷や新宿でも暴れることはできる。

本当はその根を絶つことを考えないといかんのですが、
特にテロが起こる根ってのは深く、容易には抜けない
ということで、大抵は対症療法しか施されてない。

警備を強化するとか、危険を回避するとか、
そういうのは対症療法であって、それも大事だけど
そろそろ、何でそんなことをやらかす奴が沸いてくるのか
ってことを修正しとこうとは思わないか。

テロとの戦いなんていう文句は
米国発の一種のプロパガンダですからね。
テロの芽を育ててるのは主に米国なんだから。

そういうことをサミットで話すべきなんだけど。

そこにフタをして世界平和を話し合うというのは、
どうも茶番劇に思えてしまう。


ただ、エコロジーも今回大きなテーマになってるようで、
そこに力入れるのは悪いことではありませんので、
そこは(せめてそこくらいは)ぜひ頑張って議論してください。
エライ人たち。


そういえば、七夕でしたね。

もし願いが叶うなら。。。
サマージャンボよろしくたのんます!マジでマジで。

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July 01, 2008

仕事のこととか

あれ、もう1年の半分終わってるくさい?


今月から、職場(お客さん)変わりました。

前の職場は大体1年半だったかな。
何より本格的にWebシステムの開発したのは初だったので、
それだけでも良い経験だったですね。

で、そのまま契約を延長しても良かったんだけど、
どうも二次請けの会社のコンプライアンス意識が高くなって、
そのままその契約(というか仕事)を続けるには、
派遣契約に切り替えないとダメになったのです。

派遣はイヤづら。

ってことで、契約終了と相成ったわけですが。

現実問題、
エージェントを使ってる個人事業主の立場って
どんどん悪くなってきてるんですよね。

だって、偽○装請負だし。(あれ)

労働局が近年になって監視を強化してきているのは、
事業主が労働者として使われるのはダメってことで、
(本来は)個人事業主を保護する目的なのよね。

でも、そうなると企業は個人を使うことを控え始めるわけで、
それは今その形態で働いている個人が困ったことになる。
(仕事が減るって意味。)

まぁ、それでもこの業界はまだ人手不足なので、
ある程度法に触れる危険があっても
その形態を続ける会社はまだ多いんですが。


ま、それはさておき。

とりあえず私にとって、これで4社目。

先月までは品川だったけど、今月から日本橋に。
電車賃はちょっと高くなったけど、
月額報酬はアップしたので、そこはまぁ良し。

ただ、今回の職場で1日目にして
いきなり不満が1つ。

個人の場合、そのお客さん会社のプロパーではなく
協力会社としてプロジェクトに参加するわけだけど、
協力会社の人は、基本的にその社内の会議には
出席する必要ないんですよ。

だって、本来は個人だもんね。

しかし、今回の会社では、
週1で開かれるプロジェクト報告会みたいなのに
協力会社の人も参加が義務付けられてるっぽい。

そういう面倒がイヤで独立したんだけどなぁ。

打ち合わせは要件定義とか進捗の報告とか
仕事に関わる話なら納得いくんだけど、
社内全体のプロジェクトを報告し合う場に
協力会社(私の場合は個人)がいる必要ないだろう?

って思うんだけど。

それ以外は、大体従来通りかな。
IT業界なんてどの会社も基本は同じですね。

良い意味でも悪い意味でも。

私の場合、10年この業界でやってきて、
これは素晴らしい社内体制だ、完成されたプロジェクトだ、
と思えたことが1度もないんですが、
ここまできたら、これが普通なんだろうと思うしかないか。

何せ、相手がソフトウェア。

求められる要望も実現方法であるアーキティクチャも
現在進行形で日々変わってる業界なわけで、
それをつくる手法が確立するなんてことはない。

要は、どれだけ臨機応変にできるか、
あと、見落としてはいけない点に正しく目をつけられるか、
ということなのかもしれない。

てか、シャラポワ負けてたよ。

ああぁうッ!

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