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May 30, 2008

すみません

他人に「すみません」とか「ごめんなさい」っていえる人、
最近少ないよね。

当然、友人とか客先とか職場の上司とか
知ってる人にはちゃんというんだけど、
例えば、満員電車なんかで、
無言で人をモノのようにグイグイと押しのけて出てきたりとか。

今朝の話だけど、
スイカのチャージ不足かなんかでアラームが鳴って
改札の人の流れを止めた人がいたんだけど、
さも機械が悪いかのようにブスッと逆切れした感じで、
後ろに詰まってる人には一言もなし。

 そこはゴメンナサイやろがぁ!(関西のヤクザ風に)

ちゃんと「すみません」っていう人もいるけど、
割合的に大体半々くらいかなぁ。。

ところで、私はどうかというと、その逆だったりする。

つまり、知り合いやいつも接してるような人には、
あまり「すみません」とはいわない。
本当に自分が悪いと思ったとき以外はいわない。

えーと、謝る意味の「すみません」はいわないってことね。
声をかけるときのexcuse me的な「すみません」はいいますよ。

だって、普段からあんまり謝ってばかりいると、
本当に謝らなければならないときに
なんて言えばいいかわからなくなるでしょ。

で、普段あまり謝らない人が
「すみませんでした」と謝ってくると、
ああ反省してるなーという気持ちが伝わるでしょ。

あと、人に何かをしてもらったときに、
んー例えばお茶とかを出されたときに、
「あ、すみません」という人と、
「あ、ありがとうございます」という人がいますね。

そこは謝らんでも良いだろうと。
私はなるべく後者になるようにしてます。
(知り合いには「あざーっす」程度ですが)

んで、知り合いではなく、全くアカの他人に対しては、
私は「すみません」といいます。

そういう状況って、
大抵あからさまに自分が人に対して迷惑かけてますからね。
電車を降りるときとか、スイカチャージしてなかったりとか。
そういうシチュエーションではちゃんと謝っとく方が良い。

社会というのは、
基本的に人同士がお互いに迷惑をかけ合うところです。

だから、お互い様だし謝る必要もないだろう?
という考え方の人もいるんだろうと思いますが、
グイッと押しのけられて不愉快でない人はいないわけで、
そこはお互い様でも挨拶はあって良いと思うんですよ。

お互い知らない間柄であればあるほど、
形式的な挨拶というのは重要になってくるんじゃないか。


これは私の偏見ですが、内輪に対してよく謝ってる人って、
他人に対しては横柄だったりすること多くない?


あと、挨拶全然関係ないけど、
鼻息荒い人、すごく気になる。ってか、悪いけどウザイ。
満員電車で耳元でスーピースーピーやられると、
だんだん腹立ってくる!

本人気づいてないんだろうなぁ。。

あー、謝らない人ってのは、
基本的に罪悪感ゼロの可能性もあるんだな。

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May 28, 2008

トロかわいいよトロ

おととい、ちょっとノドが痛くて
あと頭痛と鼻水も出たりとかあったので、
ちょっと症状を緩和しとくか程度にカゼ薬買って飲んだら、
一発で全部の症状がスッキリ消えやがんの。

なにこれ。逆に怖い…。


最近ネタが殺伐としてきてるので、
ちょっと癒し。

今回は動画なので折り込んどきます。

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May 27, 2008

イキロ

漢字変換で、間違った第一候補をそのまま決定してしまい
「っだよコレangry」って消してもう一回打ち直して
次は第二候補を選んだら第一候補が正しいやつに変わってて
第二候補が間違っていて、同じ字に変換しちゃったときって、
ムカつくよね。


ちょっとショックなニュースが一件。

 元TBS・川田亜子アナが自殺 車に練炭と遺書
 (MSN産経ニュース

特に川田アナファンというわけじゃないですが
以前私がよく見ていた番組「ネプ理科」でネプチューンと司会やってて、
その時はとても自殺する風(な性格)にはみえなかったので、
人って外見、というか振る舞いだけではわからんものだなぁ…と、
微妙に驚いたのですな。

いや、ナマコとかを素手で握るんですよ。川田アナ。
あれは衝撃。

ナマコだけじゃなく、
もっといろんなゲテモノを平然と素手で触るのよね。
あれは最強だと思ったんだけど。
(以前はYouTubeにその映像があったんだけど、今はもうないね。)

ところで、自殺する人ってのは、
それで全部何もかも終わりだってことを理解してるのかな。

この人生どうやら失敗ぽいから、
ちょっとリセットして別の(次の)人生を始めてみよう的な、
ゲーム感覚でやってるんじゃないの風味があるのよね。

そこまで分別ないことない?

それなりに年齢の高い人が何度も失敗を繰り返して、
何をやっても上手くいかず好転の兆しすらないってときに、
あーもうこれ以上生きていても辛いだけだろうな、とか
負の方向に悟って自殺を選ぶというのは、
まぁ、なんとなく分からんでもないのです。

でも最近は、まだあまり苦労を知らないであろう若い年齢、
大体10~20代とかの人がよくやるじゃないすか。

少なくとも川田アナなんて、
私なんかの人生よりよっぽど成功してますよ?

これ、心の病気絡みなのかね。
発作的にやっちゃうのか。
魔が差したってやつか。

でも、死んじゃったらオシマイです。

前にも書いたけど、自殺しようとか考えている人は
とりあえず宇宙論考えよう。

そんなの関係ねー。

いや、関係ないからいいのです。
むしろ全く関係ないアサッテ方向のことを考えるほうが良い。
ちょっと現実逃避した方が理性が取り戻せるのです。

宇宙とか考えると、人間ホント小さいよ。

137億年の宇宙の歴史の中で、
人間の一生なんてケシ粒にもならないスケールですよ。
って考えると、今の自分の悩みなんてどうでもよくなってくるから。


最近、死ってことがあまりにも頻繁にありすぎて、
社会的に免疫ができてきてるんじゃないのか?という気が。
「またか」的な空気があるというか、何かフツウになってるというか。


事情はどうあれ、
川田さんに関しては、ご冥福を。

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May 25, 2008

Happy Birthday


 to me...  ('A`)


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May 21, 2008

消費税18%とか

なんかノドが痛い…。

 消費税率は最大18% 政府が「基礎年金の税方式」を初試算
 (MSN産経

18% …。

 フ・ザ・ケ・ル・ナ!

ていうか、もうその時点で財政破綻してるでしょうが。

いや、北欧諸国みたいに、計画的に高税率にして
その分、福祉厚生、医療、老後の面倒なんかを手厚くしている、
というのなら良いんですよ。

日本の場合はそうじゃない。

今のまんまいけば生産人口が減り要介護人口が増加して
やがて予算が足りなくなるから“やむを得ず”増税という、
とてもイタダケナイパターンです。

何で18%なんてことになってるかというと、
今、社会保険制度で徴収している年金保険料が、
未納者が多かったり、その管理に不備が多かったり、
いろいろ運用に問題があるから、
それなら全員からバッチリとれる税金で巻き上げて、
それを年金にあててしまおう、という話なんですな。

18%ということは、
1000円のものは1180円に、1万円なら1万1800円になる。
オリジナルDVD同梱版アイドルマスターL4U 9800円買おうと思ったら
1万円超えるんだぜ。

コレどうなんだ。おい。

年金保険料は、私の場合、月14800円払ってるんだけど、
つまり、毎月の消費(要は買い物)が8、9万円にもなれば、
その消費税は現状の保険料を軽く超えてしまうと。

実際、食費、光熱費、家賃なんか諸々の生活費だけでも
毎月10万円じゃすまんでしょ。


何度も言うようだけど、
市民、国民にそういう無理強いをする以上は、
議員先生方も、
同様に相応の処遇をしていただきたいわけですよ。


以下、愚痴グチいうので、
久々に記事を折り込んでおきます。

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May 18, 2008

コピーライト

パヒュームといえば
昔、ワンダーパヒュームっていう馬がいたよね。


オリジナルとコピー。

オリジナルというのは本物で、コピーは偽者である、
というのは世間の大概の見解でありましょう。

世の中が高度情報化社会などと呼ばれ始めて久しいけど、
大量の情報が流れやすくなったということは、
大量の情報をコピーすることが容易になった、ということ。

コピーというのは、もともとは
同じ情報を多くの人の間で共有する為のものだと思うんだけど、
近年は、オリジナルをただコピーするのではなく、
何か別の情報を付加して別の見せ方をしてみる、
という文化が台頭してきてます。

アレンジですな。

そうなると、オリジナルはありつつも
オリジナルとはまた別のものになること多々で、
そうなると、コピーというよりは
それもひとつの創作として新たなオリジナルになる、
ということになるんだろうと。

それじゃ元々のオリジナルの作者が報われないじゃないか。

アレンジするならオリジナル作者に許可を取れ。
許可をとって、それで仮に売りがあるとするなら、
そのオリジナル作者にも見返りがあるべき。
ということで、著作権、販権の問題がうるさく叫ばれると。

このへんの話はどうも分かりにくい。

そもそも、オリジナル作者の定義とは何か。

そりゃ最初にその商品なり作品をつくった人だろ。
でも、その人だって、それをゼロから作ったわけじゃない。
それも何か別のモノからヒントを得て、
それを組み合わせたり形を変えてみたりした結果、
新たに別のモノが生まれてくる、てことなんすよね。

それだってアレンジ作品。

これも何度か書いたと思うんだけど、
人間は、無から何か新しいものを生み出すことはできない。
何かをつくるには材料が必要。

それは物理的なものばかりじゃなくて、
思想や想像の中のものだって同じです。

どんなものすごいモンスターを想像しようとしても、
それはどこかで見たことのあるモノの組み合わせになるし、
見たことのないものは、そこに入ってこない。

音楽や映像なんかも同じ。

どこかで聞いたことがあるなー、パクリじゃね?
という議論も、どこまでがパクリで、
どこからが新しいものになるのか、
という線引きは、やろうとすると結構むずかしい。

まぁ、あからさまに同じメロディーだったり
全く同じフレーズだったりすることもあって、
そういうのに反応するのは仕方ないとは思うけど。

曲の一部が別のアノ曲に似ているとか、
この単語はあの詩にもあったぞ、
程度のものに目くじら立てるのは、
子供の言い掛かりレベルじゃないのかと。

私はね、
そんなものにわざわざ線引きしなくて良いと思うんです。

オリジナル作者は、
自分の作品に一定の価値をみてるわけですよね。
それを良しと思って発表するなり商品化するなりしている。

それと同じもの、或いは近いものを別の誰かがつくっても、
自分がオリジナルだと思ってるなら、それで良いじゃないの。
こちらがオリジナルだと認められているなら、
コピーは永遠の二番手であって、一番のプレミアは揺るがない。

コピーの側が「いやオレの方が一番だ」と主張するようなら
そこは感情論としてはまぁケンカしても良いと思うんだけど、
「ふうん、必死だな」程度にあしらう方が数段クールである。

というより、そういう二番手はあまりいなくないですか。

コピー、アレンジサイドは、
ちゃんとその元となったオリジナルがあることを認識していて、
自分はそれをコピーしている、アレンジしているんだ
という立場を結構わきまえていると思う。
(特許とかはえげつないみたいだけどネ。)

そういえば以前、三谷幸喜が何かの番組のトークで、
「古畑任三郎は、コロンボのパクリです!」
とスパッと言い切ってたのは、むしろ清々しかった。

とはいえ、著作権が泥臭い商売に絡むと、
コピーするならオリジナルの権利者にちゃんと金払えや
という話になって、結局そこが肝なんだろうけどね。

あー、念のため。
同じコピーでも、創作物とか作品ではなく、
有料ソフトの無断コピー使用とか、
CDやDVDなんかのコピー再販とか、
全く同等のものをタダ利用するのは犯罪。

上の話は、オリジナル作品と
それを題材にしたコピー、アレンジ作品の話ってことで。


いや、動画共有サイトが楽しいのです。

公共に流すものとしては絶対つくられない映像が多いし、
そういう媒体がなければ
おそらくずっと誰も知らないままだろうモノが世に出ている、
という面白さですよ。

こういう草の根の楽しみや情報を不特定多数に広げる
という試行は、かなり当たってると思うな。

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May 11, 2008

カルマ

どうも、“ぷらす”です。
秘密スーパーひとし君プロジェクト進行中です。

ああ、私が最初から存在していなければ
どんなに私の人生楽チンだったか。

という議論はパラドックスめいてるけど、
間違っちゃいないよね。

あー違う違う。そういう意味じゃない。
こんなこと書いたらプロバイダに消されるのか。

“自分の存在しない世界”というのは
一体どんなものなんだろうかと考えたことはないですか。

私だけですか。そうですか。

いえ、自分がいようがいまいがお構いなしに
この世界はずっと続いているんだろうし、
それは過去も未来もそうなんだろうけどね。

客観的に考えればそうだけど、
いざ自分が生まれ出る直前、直後、或いは消える直前、直後、
そこで主観的に見た世界というのは、
どう立ち上がり、そしてどう消えていくんだろうな、と。

生まれるというのは、
胎児でいる状態から、おぎゃあと外へ出る瞬間、かな。
消えるというのは、死に際、で、死んだ後か。

そこに自分(という主観)はいるのか。

道理的に考えれば、そこに自分はいない。
こいつがさっぱり想像つかんのですよね。
いないんだから、想像しようもないんだけど。

そもそも自分という存在が、
なぜまさにこの自分なんだろうか?

物理的には、人間をはじめとする地球上の生物ってのは
結局のところ水とタンパク質の塊なのよね。
そんなものが意識や自我を持って
どうやら自立的に行動してる(ようにみえる)わけです。

実に解せん。

まぁそんなことはもう何百何千年前から
いろんな哲学者や科学者が悩んできたことで、
今「それはこういうことなんだよ」とか私が思いついたら、
それこそノーベル賞どころの騒ぎじゃない。

ま、そりゃいいんです。

いいんかい。

てか、今日明日に答えが出るもんじゃないので
棚に上げておいて。

例えば、仏教の考え方に
“輪廻転生”というやつがあります。

端的にいえば、霊魂というやつは消えることなく続いていて、
そいつがいろんな生き物にリサイクルされる、というもの。
意識や自我というのはその霊魂についていて、
その霊魂が物理的な生体に宿る、というわけですな。

その真偽は置いくとして、
「次、生まれ変わるなら、また人間がいいな」
なんてことをよくいうよね。

いわないか。

いうんだよ。

というより、次も人間であることが前提になってること多々。
次は女が良いとか、男が良いとか。
もっと美人にとかスマートにとか、
カッコよくとかイケメンにとか。
(狩野じゃないよ)

でも、生まれ変わったら
犬になってるかもしれないし猫かもしれない。
ゴキブリやハエかもしれない。
タンポポかもしれないし松ぼっくりかもしれない。
そのへんの石っころかもしれない。

大抵そういわれたら、そんなのいやだ、
と思うんだろうけど、
それは今が人間だからなんだよね。

犬になったら、それはそれで
犬である自分が全てなのであって、
それ以外の存在になることは考えられない。

それとも、犬は犬で人間に生まれ変わりたい、
なんて思ってるだろうか。

いや、犬はそんな哲学的なこと考えないか。
擬人化したらってことで。

逆に、人間よりもっと高等な知性を持った異星人とか、
星や空間や宇宙の意思的なものが存在するとするなら、
彼らから見た人間というのは
おそらく人間から見た犬や猫程度の存在なんじゃないか。

でも、そんな存在がいるとしても、
人間はそういう存在に生まれ変わりたいと思うだろうか。

やっぱり人間じゃないか。

それって、
人間であることで得られる自由度や楽しみといったものが
次の人生にも期待されているからなんだろう。
そして、それ以上のことなんか想像できない。

だから、次アメンボに生まれ変わっても、
それはそれでアメンボの人生を送るだけの話なんでしょう。
チクショウ人間が良かったよ、なんて思わない。
てか思えない。

行いが悪いと神様に人間じゃないものに変えられるよ、
なんていう教え方は、
人間じゃない存在に非常に失敬である。

人間って、傲慢だよね。基本的に。


んーメメント・モリ。


最近、なぜかお茶犬の曲が脳内BGMになってます。

意味?そんなものはない。

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May 09, 2008

上京物語

正午を過ぎる頃、
それまで静かだったオフィス内は
昼食へ出かける人たちで慌しくなる。

外へ出ると、夏を思わせる快晴。

今日はひとりで
オフィスから少し遠い食堂へ出かけてみる。

天気の良い日は、歩くことがあまり苦にならない。
むしろ、それまで座り通しで仕事をしているので、
ちょっと歩きたいのである。

ガード下に並んでいる食堂の一軒に入り、
鉄火丼を注文。
水はセルフサービスなので、
水を汲んでから席に着く。

すると、その店のBGMに
何やら聞き覚えのある、
懐かしい曲のイントロが流れてきた。

シャ乱Qの『上京物語』だった。

レトロだな。USENだろうか。


私がこの曲をリアルタイムで聴いていたのは、
ちょうど大学受験のときだった。

まさに東京へ出ようとしていた頃。

当時はmp3はおろか、MDすらまだない時代で、
CDをカセットテープに録音して聴いていた。

東京へ受験に向かう私を、
駅まで車で送ってくれた母親が
わざわざホームまできて見送ってくれるのだが、
あのときの別れ際の物悲しい感覚が
今でも結構はっきりと思い出されるのである。

初めての一人立ち。

17年間家族の中で育った私が、
ついにその元を離れることになる。

当時の私にとって東京というのは、
友達も知り合いも誰もいない、
頼れる者もいない全くの異世界、
そんなイメージだった。

そんな漠然とした不安を何とか紛らわすために、
プレイヤーのボリュームを大きめに上げて、
汽車の中でその『上京物語』を聴いていた。

そのときの客車に漂っていたディーゼルの匂いと共に、
当時の不安と期待が入り混じったあの複雑な感覚が、
その曲を聴いていると想起されるのである。


鉄火丼を食べ終える頃には
店内には既に別の曲が流れていたのだが、
私の頭の中ではずっと『上京物語』が流れていた。

店を出て、再びオフィスへ向かう。

ゴウッと都会の雑踏に投げ込まれ、
過去の世界から一気に現実へ引き戻される。

考えてみれば、もうあれから15年になるのか。

あのときは、まさか私がこんな東京のど真ん中で
しかもフリーランスで仕事をしているなどとは思わなかった。
そんな度量も自分にはないと思っていた。

そして今の私も、
15年後の私のことなど、さっぱり予想できない。


ただ、予想ができないからこそ
人は夢が見られる。


※私の地元(鳥取)は列車が電化されておらず、いまだにそれを「汽車」と呼んでいる。

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