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June 16, 2007

同値類別

シェットランドシープドッグもイイネ。
サイズ的にはコリーの方がいいかな。。

だから飼えません。


ひとつここに、ある世界設定があります。

 ミッキーマウスは全世界に1人(1匹)しかいない。

そもそも、ミッキーマウスというのは固有名詞であり、
一般的な種類やグループを指すものではない。
当然、オリジナルの彼は、彼1人しかいないのです。

知ってる人もいるかもしれないけど、
この設定は世界各国のディズニーワールドで守られていて、
東京ディズニーランドにミッキーが登場しているときは、
フロリダのディズニーワールドや香港のディズニーランドからは
ミッキーがいなくなる(ということになっている)。

そんなことはない。

ディズニーシーのゲートであのネズミに握手してもらったが、
ミートミッキーに入ったらあのネズミまたいたぞ?
まあまあ。ここは、そういう野良ミッキーは別としてです。

パレードや何かのショーなどに登場するミッキーには
一応のスケジュールが組まれているということで。

とにかく、ミッキーマウスというネズミは世界にただ1匹。


ところで、もうひとつ忘れていることがないだろうか。

ワタシ。そしてアナタ。というか、各個人。
みんな、全世界にただ1人なのです。

あのネズミだけじゃない。
むしろ、そんな設定とか演出とかするまでもなく、
個人は個人で、全世界でのオリジナルは1人だけ。

人は無意識に、
同じ種類、同じグループという括りをつくっている。
これを同値類別というんですが。

そのグルーピングの中に入るものは、
みんな同じ属性、同じ特性、同じ構造のものである、
と思い込む。

人間が他の動物と違うところは、
そうしてものを同じとみなし類別することができるところだ、
といった人がいるとかいないとかいう話もありますが、
確かにそういう認識をすることができないと、
ものを1つ2つと数えることができない。
(全部単体、唯一でしかなかった場合ね。)

つまり、人間にその能力がなかったら、
数学はありえなかったし、故に今の文明もありえなかった。

ただ、その認識が逆に、
同値だとみなされたグループに類するものは、
何らかの基準について同じでなければならない、
と考えるようになっている。

もっといえば、こういうこと。

ワタシは人間である。
ゆえに、ワタシは一般的な(グループとしての)人間と同じはず。
というか、一般的な人間と同じでなければならない。
他の人間と異なるところがあるのはまずい。
何か変なところがあっても、なるべく一般人のフリをしなければ。。

なんて風になってるんじゃないかなぁ。
で、それを重荷に感じている人が増えてきてるんじゃないか。

私はむしろ、みんな個性的であるべきだと思うんですよ。

人は集団で力を発揮する社会的動物だというけど、
個人では良い人が徒党を組むと集団心理で歪んでしまう、
というケースもかなりあると思うんだよね。

というか、一般人の芝居をするみたいな演出をしなくても、
人間である以上は、せいぜい人間の域を出ていない。
エベレスト山はとてつもない高峰にみえるけど、
地球の上のエベレストなんて取るに足らん高さなんです。

だったら、いらぬ苦労や心配をするのは損で、
おおっぴらにそれが自分だといって生きた方がお得なのね。

 世界はひとつじゃないんじゃないか、ねえ
 時計はバラバラ、昼夜さかさまだよ
 世界はグーチョキパーで、だから楽しくなる
 みんなちがうから、あいこでしょ

 金魚はひらひら池の中
 どじょうは上下池の中
 まねしておよぐヤツいない
 だからぼくは、ぼくのまね

     世界はグーチョキパー (by 武田鉄矢)


唯一ただ一人は、あのネズミの専売特許ではない。

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