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January 29, 2007

生命宇宙の世界(8)

みなさん、こんばんは。

今回は、論理によって宇宙を説明する、
ということについて少し眺めてみることにします。

一般的に何かの問題解決を図るときに、
その回答として出てくるものは、
ある論理体系に従って説明されていなければならない、
とされています。

自然科学は特にそうですが、
形而上学的な分野、いわゆる哲学の分野でも、
この点は無視できないでしょう。

つまり、論拠はなくとも、
最低理路整然としていなくてはならない、ということ。

そもそも、哲学と科学の根は一つでして、
古代から世界や人の成り立ちやその真理について
いろいろと考える分野が存在していて、
それをひとことでいうなれば“哲学”だということですな。

後に事実や事象を中心とした、
実在的、実証的な知識や経験(論拠)の積み重ねによって、
世界が実際にどうあるのか(事実)を語り始めたのが、
今で言う“自然科学”の分野であると。

さて、前置きはこのへんで。

まず、この宇宙(のあらゆるモノゴト)を眺望したときに、
その発生の主因、起源、本質は、
複数の何かに由来するか、単一の何かに由来するか、
という点において考え方が大きく分岐します。

その意味では、生命宇宙の根源は“生命”であるので、
宇宙の由来はひとつである、という分類になるでしょう。

じゃあ、その“生命”なるものの由来は何か?
という疑問が出てくるんですが、
ここがこの論の一番面妖トンデモな部分でして、
生命が一番の根源なのだから、
それの由来なんかないんだ、という話になります。

ということで、
やはりその“生命”に関する説明責任が生じるわけですが。

そもそも、今の自然科学に立ち返ってみたとき、
力が4つに分類されること、
モノを形成しているのが粒なりヒモであること、
それらが存在する場は複数次元の広がりを持つ時空であること、
こういった前提、というか定義は、
実験、検証によって得られたものというよりは、
そう想定して実験したり計算すれば理屈に合うようだ、
という都合上のものであるような気がしています。

生命はとても抽象的なものだけど、
では、何かを理解しようとするときに、
それが果たして数値や数式などといった、
何か具体性のあるモノである必要があるのか?
といってみるテストというか。

多くの理論は、何かを前提して、
その前提が正しいならば結論も正しいはずだ、
という論法をとって説明しています。
(アリストテレスの三段論法)

ただ、こういう言及の仕方には重大な欠陥がある、
ということも、ゲーデルなどによって指摘されていて、
正しい(矛盾のない、反証できない)理論は、
その理論自身によって説明することができない、
その文脈の中に登場する言葉それ自身については、
その文脈の中で説明することができない、
などという、言語の罠のようなものがいくつかあって、
(ゲーデルの不完全性定理)
その意味では、何かについて考える際の道具である
言葉(数、数式、つまりそのような記号表現)についても、
若干の怪しさが噴出してくることになるわけで。

かといって、私たち人間は、言葉や数式以外に、
何かについて述べる(表現する)方法を知りません。
ぶっちゃけ、私たちにできる範囲で最善を尽くしている、
ということになるのですな。

でも、そういう理詰めのことじゃなくても、
人間にも理解できるコトがあります。

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血液型性格分類

今の日本で、
それに大した根拠や裏づけがないにもかかわらず、
かなり多くの人が信奉しているひとつの迷信があります。

 それは、血液型性格分類

これ、なんでこんなに一般化しちゃってるのか、
すごく不思議なんだよね。

念のために書いておくと、
人の性格と血液型の間の関連性は何もないし、
そういった分類に科学的な根拠は一切ない、
といわれています。

全否定です。

であるにも関わらず、この普及率はどうですか。

 「自己中だよね。彼。」
 「B型だからねー。」
 「あーなるほど。やっぱBだったんだぁ。」

それで満場一致。ほぼみんな納得するこの状況。

ちょっとWikipediaで調べてみたら、
なるほど、これを言い出したのは学者先生だったようで。

しかも、学会でも結構あーだこーだと議論されてたんですね。
でも、現状の結論としては否定的見解が優勢であると。

でも、いったん社会に流布してしまって、
しかもそれが単純明快ときているから、
日本人ウケしやすかったということですかね。

単純でわかりやすい、というのは、
一般大衆受けする大きな条件のひとつだし。

Aは優しい。Bは個性派。Oはリーダ的。ABは勤勉。

うむ。
根拠は無いけど、実にわかりやすい。

男女比率でいえば、これを信じてるのは、
男性よりも女性の方が多い気がしますね。比較的。

例えば、恋人や配偶者を選ぶときに、

 「あたし、B型ダメなの!」

なんていう女性が多い気がしませんか。
男はそんなところ気にしないよね。(って私だけ?)

そして、
この血液型で性格を憶測する文化があるのは、
日本だけかと思いきや、
中国、韓国あたりにもこういう話はあるらしいと。

これはもしかして、東洋人というのは、
血液型を趣向するような人種ってことなのか。

日本人の70%はA型らしいんだけど、
日本人の場合はA型を後世に残していこうという、
生物学的(遺伝的?)なバイアスがあるのかな。

もうこれも日常になっちゃってるから、
普段は私も人の話にあわせてるんだけど、
心の中では、「いやぁ、何でそこで血液型?」
と思ってる自分もいるわけでして。。。

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January 26, 2007

バカは危険

普通に考えてね、、
納豆を毎日食べただけで痩せると思いますか。
毎日2パック?朝晩に?それで体重が減る?

ありえんでしょ。

あれです。「あるある大事典」の話ですよ。

体重が減らないのでおかしいと思った

とかいうコメントをしている視聴者もいて、
もうね、アホかと。バカかと。

情報を捏造するテレビ局は当然悪いけど、
それを鵜呑みにする方も悪い。

って、私は見てないので、
実際に番組がどんな内容だったかは詳しく知らないんだけど、
普通の道理で考えれば分かる話ではないのかなぁ。

まさかそんなこと…とは思いつつ、
番組ではそういってるのだからそうなのだ、
と思い込んでしまうほど、
テレビとかメディアの影響力は強いということか。

こういう出来事にも象徴されてると思うんですが、
「大衆というのはバカだ」
ということが半ば前提されている感じがする社会。

要は、「誰にでもわかりやすい」ことが、
あまりに持て囃され過ぎじゃないのかと。

もうちょっと考える機会を与えないと。

てか、最近はその反動かどうか定かでないけど、
脳トレみたいなゲームとか、
意図的に頭を使う番組みたいなのが、
微妙に流行ってきてるんですか。。

でも、そこで供給される知識というのは、
本来みんな普通に知ってて良い知識や、
常識レベルのものが大半であって、
それを知っている人や常識を心得てる人がみても、
何も面白いものはないのです。

つまりそれらも、
相手がそれを知らないことが前提になっている、
バカが見る前提になってるものだということ。。。

すみません。いい過ぎか。

要はね。
もうちょっとみんな自分で考えましょう、ってことです。

例えばこの間、
世界終末時計が5分前まで進んだってニュースがあったけど、
実は、「え?終末時計?って何?」って人が多くないですか。

せっかく分かりやすい喩えで表現してあっても、
それすら知らなきゃ世界の危機的状況も分からんですよ。

今までは核や戦争関係の動向で針が動いてたと思うんだけど、
地球温暖化みたいな環境問題が要因になったのって、
実は初めてじゃない?

そう、もう地球はヤバイんです。

ヤバそう…ではなく、終わりに近い状態なんです。
5分前どころじゃない。もう30秒前くらいといっても良いくらい。
そこんとこホントに理解してないと、
真面目にエコしようとかゴミ減らそうとか思わないんでしょう。

5分前というのがどういう状況かを知ってれば、
自発的に節制しようという気持ちにもなるはず…なんだけど。
周りがうるさいからやる、ではなくね。

無知に甘んじているのは罪だということであります。諸君。
(誰だおまえ)

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January 23, 2007

スパゲッティが不味い理由

昨日食べたナポリタンがすこぶる不味かった…。
(道理でソースが安かったんだ。)

そんなことはどうでも良い。

大学入試センター試験が終わりましたね。
それで、ショッキングな事実が明らかに。

今年は平成19年であります。
亥年だね。いや、亥は関係ない。
現役で大学入試に望んでる人は、17か18歳ということ。

つまりね、遂に平成生まれの大学生、
なんて時代になっちまったってことなのよ。

ふはぁ…。

ここで溜め息が出るのは、やっぱり自分が…やめとこう。

アレです。

平成生まれの大学生の誕生と共に、
大学全入時代の到来なのです。

どういうことかといえば、字のごとく。
当該の人たちは、大学を選ばなければ、
もう誰でも大学に入れてしまう時代ってこと。
(競争率が1.0倍以下ってことだ。)

まぁそうはいっても、旧帝七大学とか早慶とか、
そのあたりは相変わらずなんだろうけど、
日東駒専程度なら普通に入れるってことなのかね。

いろんな意味で由々しき事態だと思うんだけど、
一番大きな問題はやっぱり
それだけ子供が少なくなってるってことなんだろうなと。

で、少なくなってるから大事にされているかといえば、
むしろ逆の方向にいってるのもまた問題。
親が子供を殺したりするなんて時代に加えて、
子供は自ら死のうとする風潮まで出てきてると。

世間も、これは問題だと思いつつ、
あんまり真面目に取り組んでる風に見えないんです。

学力低下。いじめ問題。家庭問題。その他諸々。。。

いや、騒いでるのは騒いでるんだけど。
マスコミも必要以上に大騒ぎしてるし、
教育現場も頑張ってる人は頑張ってるんでしょう。
(行政はよく知らんけど。)

でも、全然問題が改善する雰囲気が見えてこない。
改善するどころか、ますますコトはエスカレートしてるんじゃないの?
みたいな事件が後を断たない。

これはもうこういう社会現象だと思うしかないのかな、
という感覚にもなりつつあったりするわけで。

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January 22, 2007

SEMについて思う

NHKで「風林火山」を見た惰性で、
そのままNスペを見てたら、Googleの特集をやってました。

まさに、SEM(Search Engine Marketing)の話題。

Google検索で15位以内に入らないと存在しないも同じだ、
という論を展開している人もいたんだけど、
そこまで社会性というか公共性が高い企業なのか、と。

まぁ、「ぐぐる」なんて造語が一般化するくらいだから、
それなりに認知度は高いものなのは確かだけど、
Googleだって、政府機関でも公共機関でもない、
世の中にあるIT企業のひとつなんだけどねぇ。一応。

GoogleがWeb検索で台頭してきたのは、
確か私が社会に出てすぐのことだったと思う。
その当時よく使われてたのは、
NTT-Xが提供していたgooだったなぁ。

その頃のWeb検索サイトは、
Webサイト開設者自身がURLと紹介文を登録する
「ディレクトリ型」というサービスが主流で、
当時のYahoo!もこのタイプ。

でも、ディレクトリ型で検索できるのは、
あくまで開設者が登録した内容のみで、
あまり「検索」としての用途では有効ではなかった。

で、WWWの全文検索ができるタイプが求められていて、
そういうのは「ロボット型」と呼ばれてました。
(検索ロボットがWebを回ってそのテキスト情報を収集することから。)

当時のロボット型エンジンは、
テキストさえ一致すれば何でもかんでもヒットしていたので、
使い勝手が良いとは決していえなかったのだけど、
それでも、Webを「検索」するという用途で、
仕事などの調べものでも使えるのはやっぱりロボット型の方。

なので、今後流行るのもロボットだろうなぁとは予想できたけど、
それが、既にそれなりにシェアを広げていたgooではなく、
海外から入ってきたGoogleになるとは、って感じですな。

入社当時、たまたま私は何かのテレビ番組(多分それもNHK)で、
Googleというベンチャー企業がアメリカにできて注目されている、
という特集番組(これはITベンチャーの特集だったかな)を見て、
会社でも、みんながgooやYahoo!を使ってる中で、
私は試しに(というか面白半分で)Googleを使ってたら、

 「ん?gooじゃなくって、Google?」

と先輩にいわれたのを思い出しました。
8年ほど前はその程度の認知度だったということ。
(会社ができてから1年くらいの頃、ということになるかな。)

ところで、そのGoogleの特集番組を見ていて、
ちょっと思ったことがあるのです。

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January 19, 2007

転げ落ちる恐怖

客先が拠点を引越すらしくバタバタしていて、
しかも、開発者側も別件で程よい忙しさらしく、
まともに私の仕事の話が進められない状態が続いている。

そんな中で今私がやっているのは、
なぜか新規システムのハードウェア選定。

いや、私はソフトウェアの技術者なんですけど。

当面私に振るまともな仕事がないこともあって、
どうせヒマならこれでもやってろってことなのか、
このプロジェクトのことは任せたってことなのか。。

いずれにしろ、
ハードウェア選定は結構重要だと思うんだけど、
私、そんなことやったことないんですけど、良いのか。

それでも仕事なので、
それなりに調べて、Web/APサーバとDBサーバと、
そのクラスタリングなんかも考えて、
それっぽいのを見繕ったりなんかしつつ。。。

やっぱりハードもソフトもトータルで面倒見れてこそ、
システムエンジニアってことですか。

殊に私はピンでやってるフリーランス。

さっき、プロフェッショナル仕事の流儀で、
漫画家の浦沢直樹(私、ファンです)をやってたんだけど、
茂木さんが彼に、7年とか8年とか長い連載期間中、
よく切れないでずっと(苦しい?)仕事をやっていけますね、
みたいなことをいったら、浦沢さんは、

 「恐怖、かな。」

といっていた。

途中でそれが途切れたり投げ出したりしてしまったら、
そこで全てが終わってしまう“恐怖”があるから、
もしかするとそれで続けているのかもしれない、と。

その気持ち、すごく解ったんですよ。

私は彼ほどのプレッシャーは背負ってないから、
そこまで大きなものでもないと思うのだけど。

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January 17, 2007

なぜ笑う

久々に雨。

ぼーっと電車に乗って、また例のモードに入っていったのだけど、
電車で知り合い同士で話してる人たちって、ほぼみんな笑顔なのね。
まぁ、笑顔でなければ、逆にほぼケンカか。

聞いていても大しておかしくない話題だと思うのだけど、
「あははっ、そうだねー」
のような感じで笑う。

本来困った話のはずの苦労話を笑いながら話す。
「いや参ったよ、あんときゃ。うっはっは」

なぜ笑うか。

生物学的にみると、表情を豊かに持つ動物というのは、
どうも霊長類だけであるらしい。

そんなことはない。
犬や猫だって、鼻面にシワを寄せて怒ったような顔するぞ。
まぁそれでも、顔中に表情筋がこんなにあるのは、
やはりサルの仲間がダントツに多いらしいのである。

特に人間は、顔を見ただけで、
相手がどういう心境であるか大体察することができる。

例えば、チンパンジーは、
自分より格上の相手に近づいていくときに、
ニッと歯を見せるのだそうだ。
これは、相手に攻撃したり立てついたりする意思はないよ、
私はあなたより格下であることを認めていますよ、
という意思表示なのだという。

なるほど。
笑顔の原点というのはそこらへんにあって、
つまり、お互いに笑顔を見せあうということは、
お互いに平和でいましょうね、という、
一種の意思確認のようなものなのかもしれない。

ただ、人の場合は、その笑顔で本心を隠すこともできる。
心のうちは全く別の思いであり心境なのだけど、
とりあえず笑顔を見せていれば、
その腹の内を相手にさとられないようにできる。

まぁ、全部さとられてたら、
多分世の中もっと怒りや悲しみだらけだったかもしれず。。。

やっぱり、世界平和のために笑顔は必要ということで。

ちなみに、目を見ればウソかどうかわかる、
なんてことをよくいうけど、
目の白い部分(白目)が大きいのも人間だけなのだそうです。

他の動物にも白目はあるけど、露出してる部分はほぼ黒目。
白目が目立つというのは、
その相手が今どこを見ているかが分かるということで、
野生動物であれば、
次にその相手がどこに攻撃するかを悟られてしまう、
ということになって不合理なんですって。

それでも、
人間はあえて白目が見えるようになっているということは、
むしろ、今どこを見ているかを相手に知らせたいから、
ということらしく、
つまり、基本的には相手と敵とみなすのでなく、
基本的には相手を仲間とみなして、
その相手とコミュニケーションすることの方を重視してきたのだ、
という話になるんじゃないだろうかと。

つくり笑顔ばっかりでなく、怒ったり泣いたりする状況なら、
その理由を相手の目を見て伝える努力もして然るべき、
という話です。

って、そんな教訓を書くつもりじゃなかったんだけど。。。


ところで。

だいたひかるが離婚したってね。(つか、結婚してたのね。)
きっとコミュニケーションが足りんのです。
で、彼女のページを見てみたら、
彼女の生年月日が私と全く同じだったと気付く。

どうでもいいですね。。。

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January 15, 2007

チョロ松

1987年にウォークマンのCMで有名になったチョロ松くんが、
昨日亡くなっていたそうです。
(猿にも「亡くなる」と使うものかどうかはわからないけど。)

 ウォークマン聴き「瞑想」のCM、猿のチョロ松大往生
 (asahi.com より)

Walkman

あのCMが流れてたのは20年も前なんですね。
ということは、私は10歳かそこらか。

チョロ松は29歳8ヶ月ということで、
人間でいえば100歳程度の年齢だったらしい。
リアルでも私と2つ、3つしか違わないや。

今にして思えば、チョロ松はニホンザルだったのね。
芸をするサルはチンパンジーというイメージがあって、
チョロ松もチンパンジーだったかな…と思ったんだけど、
そういえば「猿回し」というのは伝統的にニホンザルですな。

ともあれ、私と同世代の彼のご冥福をお祈りします。

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January 12, 2007

非ゼロサム

世の中、“勝ち負け”でできてるのか?

 否!

世の中は必ずしも勝ち負けではない。
善、悪ではない。白、黒ではない。0、1ではない。

現実はグレーなんです。
もっとアナログなんです。

不確定性につつまれていて、
人間にはその判断はできないようになってるのです。
というか、真実においてもずっと何かが決まることはないかな。

仮に決まったと思っても、
それは一時の思い込みに過ぎない。

どうも、このことろ、というか昔からずっとだけど、
勝ち負けで優劣を見ようとするというか、
どうすれば「勝った」みたいな話にしようとする方向があって、
それがいかにも暴力的だなぁ、と感じているのです。

みんな勝てば良い、という発想は出てこないんだろうか。

どうやら、勝者がいれば敗者も(必ず)いる、という図式が、
あまりにも信じられていて、
だから自分は勝者になりたい(敗者になりたくない)と考え、
その為に誰かを敗者に追い込もうとするという動機は、
何かの諍いやしばしば戦争の火種にもなる。

トータルでゼロになる、という話は、
ゲーム理論で「零和(ゼロサム)」ゲームと呼ばれます。
勝ちはプラスだから、負けのマイナスが対抗にいて、
全体の釣り合いが取れると。

でもね。

実は、世の中というのはいろんなジレンマがあって、
必ずしもそうしてゼロ和にはならないのであって、
それを最もよく表現した喩え話が「囚人のジレンマ」。

度々ここでも書いている氏の言葉を借りるなら、
これは 「完全に実利的」な話で、
勝敗のケースもあれば、勝勝も敗敗もあり得る。

どうも今の社会は、ゼロサムどころか、
マイナス(敗敗)のケースにいってるような気がしませんか。

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January 10, 2007

街頭募金

1月から職場が品川へ変わり、というか、また品川になり、
(前とは違って、今度は駅周辺の雑居ビル)
新たな昼の食堂の開拓をしているわけですが。

その駅前で、不意に、

 「募金お願いします」

といって呼び止められ、
見ると学生だかオッサンだかよくわからない格好をした男。

彼が持っている募金箱を見たら、
「新潟中越地震支援」とか書かれていて、
彼は身分証明書だか許可証(?)のようなものを見せつつ、
我々はボランティアでやってますとばかりに、
とにかく「お願いします」とたたみかけてくる。

しかし、そのとき小銭を持ってなくて、
(私は札入れと小銭入れが別で、たまたま小銭の方を忘れていた)
「小銭とかもってないんで」といったのに、
彼は引き下がろうとしない…。

まぁ、あの地震で困っている人もいるのは確かだろうし、
そういうのをあからさまに「イヤです」と断れない性格も災いして、
仕方なく1000円入れてしまったのですな。
すると、何かその団体(?)の機関紙のようなものをくれました。

後になって思い出せば思い出すほど怪しく感じられてきて、
その機関紙にあった“日本ボランティア会”という名前を、
ちょっとググッてみたわけですよ。

 その検索結果
 (by Google)

ぐはぁ…。
やっぱり怪しさ満点の団体でした。

いろいろ調べてみると、
この「日本ボランティア会」というのは、
「緑の党」なる政治団体とつながりがあって、
募金の大半を(経費と偽って)政治資金としてガメていて、
実際に被災地に渡っているのは残った1割程度らしいと。
そしてこの団体は10年以上同じ手口で活動をしているとのこと。

しかも、ああいう街頭募金は、
警察にそういう届けさえ出せば誰でもできて、
現状そういうものを取り締まるような法律がないらしいと。

さらに、日本ボランティア会=緑の党は、
その筋では有名だったらしい。
(Wikipedia に書かれるくらい…)

ていうかね、今ごろ新潟中越地震の募金って、
それだけで怪しいと気付けよオレ!

つくづく、やられた…。

あんなのが10年以上ものさばっていられるのは、
私みたいなおバカが後を絶たないからなんだろうなぁ。。。

その怪しい機関紙も、
領収書みたいなものが印刷されてるんだけど、
これまた誰でも書けるようなものだし、金額も500,000円とか、
検索結果のページの中にもこれが怪しいという意見があったけど、
募金なのに端数がない。ジャスト50万ってあり得んだろ。

そして、街頭で無差別に1人頭1000円以上せびるような募金で、
総計50万は少なすぎる気がするしね。
(本当に1割しか渡ってないぞというのを自らバラしてるみたいな。)

今日は昼からそれでかなり凹んで、
とぼとぼと家に帰り着いてみると、
家の郵便受けに「ボランティア募集」というチラシが。

なんか、もういいっ!
(多分、こっちは真っ当なやつなんだろうけど)

当面、“ボランティア”という言葉に拒否反応が起きそうです。

というわけで、
みなさんも、怪しい街頭募金にはご注意ください…。orz...

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January 08, 2007

ロストジェネレーション

今、朝日新聞で、
「ロストジェネレーション」という特集が連載されています。

戦後、経済が最も豊かだったといわれた時代に生まれ、
少年期にバブルが崩壊、いわゆる「失われた10年」
といわれた時代に大人になった世代のことを指して
「ロストジェネレーション」といっているらしい。

具体的には、現在25~35歳の世代で、
私もこれに含まれるわけですが。

いわゆる「就職氷河期」を体験したのも、
まさに我々の世代だったりします。

それゆえに、
正社員率低という社会問題もあったりするんでしょうな。

記事を読んでいて、世代比較したこの世代の特徴は、
大雑把に大体次のような印象。

・政治や会社への依存度(依存心)が低い。
・団塊の世代(親世代)は勝逃げ組だと思っている。
・いわゆる“IT”のフロンティア世代。
・結婚難。
・個性が強い(ある意味、従来の常識が通じない)。
・社会に不信感はあれど、絶望感はあまりない。
・失敗は挽回できないとは思っていない。

あとこの世代は、
他世代に比較して小泉純一郎支持率が高いらしい。。(笑)

総じてひとことでいうなら“楽観的”な世代なのかもね。

それは、少年時代にバブルが崩壊し、就職氷河期を経て、
奇麗ゴトだけではない社会の表裏や荒波を多く経験したことから、
そんな社会に何か期待するより、自分で何かやった方が良い、
という吹っ切れ感のようなものがあるのかもしれません。

あと、それ以前の世代が、
“安定”とか“安心”などを求めていたのと比較すると、
これからの世代は、もっと発展的なものを求めている印象はある。

無難に生きるのではなく、リスキーでも自分の思ったように生きる、
というかね。

同じ朝日の記事に朝日賞の受賞者が出ていたんだけど、
その中の時間生物学者、近藤孝男氏のコメントで、

「役に立つかどうかより、面白さを追求してきた。」

というものがあって、「おお、ソレダ!」と思いましたね。

学術研究だって、役に立つとか、実用性とか、お金になるとか、
そういうところばかり見ていても新しいものはあまり出てこない。

「役に立つ」ということも、突き詰めて考えると、
結局それも人が喜ぶということであって、
それは「面白い」と思うことに通じると思うし、
その意味で、例えば、エンタテイメント産業などは、
直接的に人の役に立っていることかもしれないとも思う。

これからは、実用云々よりも、
社会に「面白さ」を求めていく世代になっていく…かもしれません。

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追憶

お正月、帰省していたときに、
あまりにヒマだったので久々に打ち込んでました。

これは「PlayOnLine」という、
スクウェアエニックスのオンラインサービスのBGMのひとつで、
いろいろある中で私のお気に入りです。

ピアノ中心で、他の曲よりは簡単かなと思ったけど、
意外と最後の部分とか聞き取れないし、
バックの広がりっぽい音感も表現しきれなかったり、
それゆえ結構いい加減になってマス。。。

 追憶(.mid) (14KB)

まぁ、3日でコピーした割には上出来ではないかしら。
しかも、ノートで、VSCで、Cherryで。
(一応、帰ってきて、SC-88Proとレコポで微調整はしたけど。)

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January 03, 2007

今年の初夢

なぜか私は変なカラオケ大会みたいなものに参加している。
N○Kのど自慢のような感じで、
ひとりずつ大勢の前で歌うというシチュエーション。

番が次の人は、なぜか今歌っている人の前の席に立っている。
私の前の人はもう80くらいと思われるヨボヨボの老婆。
しかし、歌はそれなりに歌いきって(何の歌かはよくわからない)、
司会の人に何か労いの言葉をかけてもらっているが、
その司会者が何といっているのかもよくわからない。

そして、いよいよ私の番。

司会の女性が、
「TMネットワークの異色の曲…」みたいなことをいっている。
何かと思えば、流れてきたイントロは
宇都宮隆の「discovery」だった。
TMネットワークじゃないじゃん。

歌うステージからは次に歌う控えの人たちが見えて、
どうやら私の知り合いもいっぱいいる。
(もう誰だったか覚えていないけど…。)

イントロが終わり、いよいよ歌い出しのところで、
これは夢だ、夢に違いない!と思ったところで目が覚めた。

…そんな夢でした。

なぜカラオケ大会なのか、
なぜ私の前が老婆だったのか、
なぜdiscoveryという選曲だったのか、
もう意味がさっぱりわからんのだけど、
夢とはそういうものなんでしょう。。。

これが何かの暗示だとするなら、
「古いものを乗り越えて人前に出て成功しろ」
ってことですか(こじつけ過ぎ)。

とりあえず、
一富士、弐鷹、参茄子は出てこなかったわん。

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January 01, 2007

善悪の構図

昨年の終わりに、
かのサダム・フセイン元イラク大統領が処刑された。

思えば、湾岸戦争あたりから、
世界の悪役としてある意味スター的な人物だったのだけど、
判決からわずか4日(だっけ?)という速さで刑が執行された。
なんともあっけない幕切れという印象。

彼は最後まで自分の正義を主張していたようである。
つまり、自分はちっとも悪くないのだ、
悪いのは米国であり、それを支援している人々だといい続けて、
その信念を曲げなかったと。

もちろん、今回のケースで米国が完全に正義ではなく、
フセイン政権のやったことが完全に悪行だと判じることはできない。

裁判だけを見ればクルド人虐殺がその罪状だったようだけど、
それは口実であって、彼をああいう立場に追い込むことが、
最終的に米国は正しい(正義は勝つ)という図式を作って、
そういうプロパガンダを国際社会に主張していく材料になる、
ということだろうと。

それはともかく、あのサダム・フセインという人物は、
自分の正義を振りかざして猪突する人の典型なんじゃないかと思う。
自分は正義だと思っているけど、傍から見たら全く逆というパターンを
一番分かりやすい形で具現化したら、
つまりああいうことになるんじゃないだろうかと。

例えば、もしも一国の指導者がそうだったら、という、
ひとつの“もしも”パターンの実現というか。

何となく、私たちの価値観だと、
それは悪いことだと知りながら実行している、
彼らの主張は悪事の正当化に過ぎない、と考えそうだけど、
フセイン氏の場合は、どうもそういうのではない感覚。

むしろ、それが悪いことであると知りつつ、
(少なくとも、全幅に正義であるとは思っていない)
それを実行しているのは、米国サイドだろう。

米国は常に国際世論を味方につけようとする態度があって、
自分たちがやることは悪いこと(も含まれる)かもしれないけど、
ああいうどうしようもない悪いヤツがいるんだから、
そこに多少の毒を使うことはやむを得ないだろう?
という暗黙の要請があるような気がする。

ブッシュ米大統領が、
先の中間選挙で共和党が惨敗したことをうけて、
イラク戦争やその後のイラク政策について、
自らの采配に非があったことを認めていたけど、
これは、選挙で負けなくても、
その心には「マズったなぁ」という気持ちがあったということ。
でも、自身が優勢なうちは、
とにかくあれは正しい措置だったと主張し続けていたわけだ。

米国が何かやるときに、
彼らは事実上世界一の力を持っている国だから、
国際社会がそれを許すか許さないかというより、
力で“許させている”状態ではないか、と。

そうなってくると、
本当に悪いヤツは誰なんだということになる。

自分の正義(社会的には悪事)を信じて猛進する人。
悪いことであると知りつつそれを実行する人。
或いは、それをただ傍観する人。

(どこかで聞く構図である気もしなくもない。)

そもそも、
良い悪いという判定はそれを見る人の主観でやるしかなく、
その場合、より多い方の意見が「良い」と判定される、
いわゆる多数決の原理でコトが動くのが実状だろう。

本当のところは、それは良くも悪くもない、
ただ、そうすることでどれだけ納得できるか、
ある妥協をみつつ、一番無難な選択をしていっている、
というのが社会というものなのかなと。

結果として、社会に不利益となるものは悪であり、
社会の利益になることは善となる。
それが個々人のそれと必ずしも一致しないところで、
いろいろな揉め事が起こるのだろうと思う。

あと、人間という生き物は、
どうも勝ち負けにこだわり過ぎるところがある、
と思うのは、私だけか。

それが(上でいう)良い意味で競争心の源となるなら、
それはそれで問題ないのだけど、
往々にしてそれは争いの火付け役になることがある。
(ただでさえ火種はそこかしこに転がっているのに。)


とにかく、
一時代の悪役を演じたサダム・フセインという人物は、
この世を去った。

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謹賀新春

あけました!

めでたいのかめでたくないのかは人それぞれですが、
とりあえず、おめでとうございます。

今年もそれなりによろしくお願いします。

私は今年も、
「ハンで押したような人生は面白くない!」をモットーに、
変化を求めていきたいと思っております。

(ていうか、変われオレッ!)

Ny2007gc


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