« 擬音語の怪 | Main | ミノタウロスの皿 »

November 20, 2006

他人の責任かどうかという話

ときどき、何か大失敗したときのセリフで、

 「自分が嫌になる。」

というようなことを聞いたりします。

と、そんなドラマチックなセリフでないにしろ、
「あーオレってバカ」とか、「ごめん、私ヘタなので」とか、
自虐的なセリフは結構日常的に聞かれると。

でも、本当に自分が嫌になるとか、
どこまでもバカだなどと思ってしまったら、
多分人はその先生きていけません。

多くの場合、そういうセリフを他人に吐き出すことで、
自分は自分を責めているのだと他人に認識させて、
多少他から見た自分の罪を軽くできるのではないかと、
そういう打算があることは否定できないでしょう。

実際は、そんなセリフをいってみたところで、
何か失敗した(或いは、する可能性がある)という事実は、
変わらないのだけど。

何かを人にいうことで気分が楽になる、
ということは、自分の中に抱えている荷物を、
多少外部へ分散させる効果があるのは確かです。

まぁ、結局のところ最後は、
人は自分がかわいいから生きていけるのだと。

人は、他人から親切を受けたとき、
その瞬間はとてもありがたいと思う。
その人を良い人だと思う。

その時点で自分にプラスになることをしてくれた事実は、
それだけで原点以上の評価になる。

しかし、その親切が仮に裏切られる結果になったとき、
(仮に、その親切を与えた主に裏切る意思がなかったとしても)
期待が裏切られたというその事実のみで、
自分の中におけるその人の評価はマイナスに転落する。

これは多分、とても自分勝手なことです。

でも、人のコントロールできない部分の心というものは、
そういう動きをするようにできている。
相手を嫌ったり憎んだりといったことは、
多くの場合、意図的にそう思おうとしているわけではない。

ただ、「自分が嫌になる」という感情は、
実際は自分でつくっている、いわばイミテーションの感情だと思う。

客観的な自分は、確かに自虐的になることができる。
しかし、本心の部分では必ず保身がある。

ええと、それが良い悪い、ということをいいたいわけではなく、
人の心ってどういうものだろう、という事実を書いてみたら、
およそ上のようなことになるのではないかと。

ここでいいたいのは、
人とはそういうものであるということを認識しなければならない、
ということ。

どんなに心の広い優しい人でも、感情がある人ならば、
その人のマイナスになることをして嫌な気分にならない人は、
おそらくこの世にいない。

それを許すか許さないかは、
本心とは別の理性の部分が制御しているということ。
つまり、イミテーションの感情で抑え込んでいる、
ということになる。

どんな人であっても、
まずは自分を守るようにできているはずなのです。

あー、この考え方から派生して思ったこと、
もうひとつ書いておこう。。。



何か選択可能な局面から、自分がそのひとつを選んで、
その結果が不幸なものになった場合は、
その最終的な責任は全て自分にある、と思うべきだという話。

人がなにか親切を供与してくれるといったとき、
それを受けるも拒むも、最初は自分次第だ(だった)ということ。
或いは、何か人に頼みごとをするときに、
頼みを聞いてくれた場合は、その人の親切心からものであるということ。
その逆に、人に何かを頼まれたとき、それを引き受けるも断るも、
いずれを選択するかは自分に委ねられている(いた)ということ。

例えば、最近医療ミスのニュースなんかもよく聞くけど、
その医者を信用するもしないも患者次第なのです。

患者は患者で自分の病気のことをちゃんと理解する必要があるし、
それに対して自分で治療しようという意思が無ければならない。
お金払うんだからお医者さんに任せっきり、ではなくね。
(その為にはインフォームドコンセントというのは重要になってくるわけですが。)

信じていたのに裏切られた、訴えてやる!
では安直過ぎるのであって、その前に、
自分で理解しようとしましたか、考えた上での選択でしたか、
ということを考えるべきなんだろうという話で。


実は、うちの母親は心臓を患っていて、
そのために何度か大きな病院に入退院を繰り返しています。
かつ、胆石持ちらしく、
だいぶ昔、1度胆石を摘出する手術を受けたのだけど、
この前、また胆石ができたといって入院したらしい。。。

何重苦だよって感じですが。

それで、心臓の治療のときに1度、最近の胆石のときにも1度、
ちょっと医療ミスまがいのことをされたらしいのですな。
それで妹がプリプリしてたんだけど、
医者も人間だからミスもしょうがないとは思うんですよね。

私自身も、少しそのへんの勉強もしないといかんのかなぁ、と、
ちょっと意識を改める意味でも、ここに書き留めておこうと。

|

« 擬音語の怪 | Main | ミノタウロスの皿 »

「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

おしさしぶりです。おげんきですか。

はい。私もたまに「自分が嫌になる」です。
具体的にいうと、「こんな状態の自分が嫌」です。
でもそういうとき人には言えず黙くりかえってしまいます。

理由はやっぱり自分が一番かわいいから、なんでしょうけどね。。
例えばやらないといけないことがあるのに他のことで考え込んじゃって
本来自分がやらなきゃいけないことが進まない。進められない。
こんなことを考え込んじゃってる自分が嫌。みたいな。

それで、何か凄く楽しいことがあって、考え込んでたことがとても
ちっぽけに感じることもあります。
そんなとき、「あー自分って、バカだなー」って思います。

思うように動けたらいいけど心を持った人間なので理想通りには
いきません。理想と反する方向に行きだすと嫌だなーってなりはじめますが
なかなかうまくいきませんね。。

最近、色んな人の価値観とふれあう機会がよくあります。
みんなそれぞれ色んな思いで生きてるんだなと感じます。
自分が相手に持つ期待は自分の中での問題であって相手には関係のないもの。
期待度の設定を最近「弱」にしているので、感激することが増えました。

お母様が、一日も早くよくなられますように。

Posted by: 元テ | November 21, 2006 at 07:36 AM

「自分はバカだ」と思えるということは、裏を返せば、自分をある程度客観的に見られているということだから、それ自体は健康的なことだと思いますね。

ただ、そのことで満足しちゃったら駄目だろうということで。バカだからそれで仕方が無い、じゃなくて、じゃあ賢くなるにはどうすべきかを考えましょう、と。

あと、悪いことは何でもかんでも他人のせいにするという風潮が、最近特に強い気がするなぁ、ということ。生きていればいろいろ理不尽なこともあるけど、そういう不幸を全部外に押し付け始めたら、明らかに自分の問題まで他人のせいにするようになっちゃいますよ、と。

Posted by: 月影 | November 21, 2006 at 11:52 PM

私は人に親切にするのがすきなのですね。
それはなぜかというと
”ありがとう”といってもらえるとうれしいから。

自己満足以外の何ものでもないのです。
だから、”ありがとう”といってもらえなければ
ちょっと嫌な気持ちになります。笑。

文字で書いてみるとすごく勝手な人のようなきがするけど。
多かれ少なかれ、自分からする親切って
そんなものじゃあないかなあ。と思っています。

もちろん、聖人もいるのでしょうが、
私はどっぷりと俗人なので
”ありがとう”と
笑顔で言われるのが大好きだから
今日も人に親切にします。

お母様お大事に。
お医者様がミスをしない日が来ることをいのりつつ。

Posted by: Makiko | November 22, 2006 at 12:37 AM

一般的に、人に親切を与えることが苦痛な人は親切じゃない人、になるし、人に親切を与えることが喜びな人は親切な人、になるんじゃないかと思います。意に反して人に親切を与えなければならない、という人の多くは、その見返りを期待していることが多いでしょう。或いは、人に親切にしておかないと自分も親切にしてもらえないという恐怖感もあったりするでしょう。(黄金律、銀律、真鋳律?みたいな話か。)

で、そのいずれの場合も、結局、最終的に自分の為になるという動機があるのですな。これもやっぱり良い悪いの話ではなく、人とはそういうものだ、ということです。

その意味で“聖人”なんていないと思ってます(私は)。

Posted by: 月影 | November 23, 2006 at 12:54 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/35781/12758620

Listed below are links to weblogs that reference 他人の責任かどうかという話:

« 擬音語の怪 | Main | ミノタウロスの皿 »