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July 30, 2005

戦後60年

今年は戦後60年ということで、
何かとそういう特集番組が組まれていますね。
…というか、毎年この時期になると、
戦争だ平和だという話題で盛り上がるような気がしますが。

8月6日というのが、広島に原爆が落ちた日ということで、
こんな酷いことは二度とやめようね
ってことで、いろいろ企画が立ち上がるわけです。

原爆食らったのは決して良いことではないけど、
第二次世界大戦に日本が敗戦したことは、
今になってみれば、ということになっちゃうけど、
良かったんじゃないかと思うことがあります。

いえ、私は戦争経験者ではないので、
こういうこというのもアレなんですけど。

もし、かつての日本の軍国主義の理屈が通っていたら、
今の日本はあったのだろうか、
或いは、今より良い社会だっただろうか、と。

今の日本社会も決して良い社会とはいえないけど。

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July 27, 2005

そういえば…

 遊び人は、経験を積むと、

   賢者になれるんだっけか。


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ジシンだぁ

最近、小さな揺れを感じると、
まず何かモノが揺れてないかを見て、

 揺れているのが自分だけではないのだな…

と、確認してから「地震」という判定をしている月影です。

こんばんは。

私も地震だという自信がないくらいアレなんです。
グロッキーってほどではないにしろ、
お疲れモードなわけです。
加えて生活も不摂生で、健康状態もあまり良好ではないと。

あー、要はフラフラなんすね。

人生もフラフラ~ですがね。
身も心もフラフラ~ってやつです。
もう鬱で病気気味で、私の命も風前の灯…

すみません。言い過ぎでした。

そんなに追い込まれちゃいませんヨ。

いっぺんそんなドン底状態を想像してみて、
そんなに酷かないぞと自らを元気付ける、
一種の自己暗示のようなものです。

…そんなこといってる時点で病気かもしれませんが。

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July 24, 2005

あの日、あのとき、あの感動

昔、私が小学校低学年くらいの頃だったと思うが、
父親が彼の友人宅へ私を連れて遊びにいったことがある。

そこには、2、3人ほど、
父親の友人とおぼしき人がいたと記憶しているが、
その席は飲み会のような感じで、
退屈にしているだろう小さな私を気にしてか、
そのうちの一人がある手品をして見せてくれた。

こんな手品だった。

その手品師は、まず白い紙を取り出し、
それをくるくると筒状に巻いていった。
そしてその筒の真ん中あたりを軽く折って、
なにやらマジナイのようなことを始める。
すると、その筒の真ん中あたりの部分が、
ぼうっ…と黄緑色に光りだしたのである。

私は、それを見て驚き、と共に、
かなり強くその仕掛けに興味を持ったように覚えている。

実際、その仕掛けは簡単なもので、
筒の中に釣りで使う蛍光ライトを仕込んでいただけであった。
それは小さなビニール製の筒状のライトで、
中に2種類の薬品が入っていて、
それを軽く折ってやると、中で薬品が混ざって、
黄緑色に発光する、というものである。
そのへんの釣具店にいけば売っているとのことだった。
(多分その光で魚が寄ってくるのだろう)

私は、そのライトに興味を持って、
父親とその友人たちが飲んでいる脇で、
もう光らなくなったその物体をマジマジと見つめていた。
あのときは、本当にそうして、
初めて見るものに興味や好奇心を持ったものだ。

そんな私を見て、その手品師は、
帰りに、おみやげにと、そのライトを3個くらい私にくれた。


今は、何を見てもあまり感動しなくなってしまった。
あまり興味も持たなくなってしまった。
きっとタネや仕掛けがあるだろうと思うだけで、
実際それがどんなものか知ろうとする気もあまり起きない。

一体いつ、どこでそうなってしまったのか。

ずっと現実に接していて、
生きることだけで背一杯という毎日が繰り返される。

本当は、そんなことはない。

生きるのに必死な人なら、全世界を見渡せば、
もっと過酷な環境に置かれている人たちはもっといる。

私など、何かに興味を持ったり、
好奇心を抱いたりするくらいの余裕はあるはずだ。

これは私だけだろうか?

そんな不安に、最近駆られる。
日本の社会がどこかおかしくて、
或いは、今の職場なり取り巻きなどが歪んでいて、
心にそんな余裕がなくなっているのかもしれない。
しかし、そうであるなら、
同じ環境下にいる他の人もそうであるはずである…。


最近、
テンペル彗星に探査機を衝突させるという、
すごいプロジェクトをNASAが成し遂げた、
というニュースがあった。

それはすごいことだ、というのは理解できるが、
どうも実感がない、というか、心から「すごい」と思わないのである。
そんなことが出来るんだ、へぇー、程度なのである。
少なくとも学生の頃の私なら、
もっとその内容にも興味を持って食い下がったのではないか。


あの、簡単な手品にすら感動できる心を
取り戻したいと思う今日この頃…。


何か、余裕がないのかな…、最近の私は。

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July 19, 2005

マイヤヒ~♪

最近、巷で何か変な曲が流れてるじゃないですか。
ていうか、流れてたじゃないですか。

アレです。

マイヤヒ~マイヤフ~マイヤホ~♪

ってやつ。

最初そんなに気にもしてなかったんですがね。
いつだかのスマスマで、
SMAPがこれを歌ってたのを聴いて、

一体この曲は何者なんだ?

と思い始めたのがきっかけでして。

この正体は、コレでした↓

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July 18, 2005

世界物理年

年頭から、何か科学とかそのへんの特集番組を、
NHKなんかでよくやるなぁと思っていたら、
今年はアレなんですね。
巷では「世界物理年」なんて呼ばれてるらしく。

なぜ物理年?

どうやら、アインシュタインが相対性理論を発表してから、
今年は丁度100周年にあたるということらしい。
今年が2005年だから、100年前といえば1905年ですかね。

確かに、
1905年は特殊相対論が発表された年ですねぇ。

でもね。
アインシュタインは、ノーベル賞物理学者なんですけど、
そのノーベル賞は、
相対論に対してのものじゃないんですよねぇ。
実際は光電効果の発見に対しての賞だった…。
当時としては、
相対論はあまりにも先駆的過ぎたということかのう。

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July 12, 2005

記憶の固執

昨日の明日は、今日ではない。
明日の昨日も、今日ではない。

人間の記憶によってそれを感じるのだけど、
それが正しい保証はどこにもないってことです。

ついさっきの記憶だって、
本当にそんなことがあったのかどうか、
実にあやしいもんです。

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July 08, 2005

七夕に思う

今日は七夕…といいつつ、
会社と家の往復のみで、
全然七夕を感じず1日を終えてしまった月影です。

こんばんは。

七夕といえば、アレですね。

笹を庭にぶっ挿して、
そこに夢と欲望を書き殴った短冊を、
これでもかってぶら下げて、
あとは何の努力もせず神頼みという、
まぁ、そんな日です(違)

カレンダーの上でしか季節を感じられなくなった昨今、
七夕だといわれてもピンと来ないのが寂しい限り。

もうちょっと心に余裕を持たないとだめですね。

何をするにしても、
多分そればっかりになってはダメで、
仕事は仕事、プライベートはプライベートで、
バランスよくメンタル配分するのが良い。

どっちかに偏りすぎてはいかんということなんです。

余裕を持つ…ということは、
ある無駄をもたせる、遊びをつくる、ということでも、
その目的は達成できますよね。

無駄というのは、実は無駄じゃないんです。

七夕の話をするならば。

短冊を笹にくくるとき、
最近は出来合いの紐っぽいもので結んでますよね。
ひどいときはビニールヒモとかでぶら下げてます。

あれ、昔は「こより」という、
半紙を縒って細長くしたものでくくってたんですよ。

私が小学生の頃に学校でやってた七夕祭りでは、
みんなでそのこよりからつくってたんですが、
これが小学生のつくるソレなので、
やたら太くなったり、細すぎて切れそうだったり、
ボロボロで紐の役をなさなかったりと、
それだけでも個性が出ていて面白かった…。

市販の紙紐を買ってくればそんな苦労はないわけですが、
そういう無駄をつくるのも必要だと思うのですよ。

みんな合理化しすぎてないかと。

あんまり追求しすぎると、
それこそ余裕がなくなって心も押しつぶされてしまう気が。

無駄がいいんです。

祭りなんてのも、そもそも無駄です。
でも、祭りは楽しい。

無駄無駄無駄無駄ァァ!


いや、とりあえず、
もうちょっと気楽に生きましょうということです。

みんな自分を追い詰めすぎてませんか。

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July 06, 2005

じめじめ

さて、間が開いてしまいました。
空梅雨だー渇水だーといってたら、
いきなり豪雨だったりというヤケクソな最近の天気の中、
この時期の高い湿度だけは髪の毛で感じつつ、
今日もサリーちゃんパパの月影です。

こんばんは。

まぁ、深い突っ込みはナシの方向で。

もう私の周囲も、私はこんな風だと諦めてくれて…
もとい、認めてくださってますから。

別に髪型がどんなだっていいじゃん?

以前の日記やら何かの記事やらにも書いたことなんですが、
人の姿格好というのは、
何をもって整っているといえるのかということ。

そんなのは、
同じ種族の人間同士でみれば、ぱっと見直感で、
ああ、この人は整っているなー、とか、
ああ、この人崩れてるなー、などと感じるんですが。

でも、その基準というのは、実は特にないですよね。
髪型もスタイルも身なりもそうですが。

男性なら、ガッチリしたたくましい体型を羨み、
女性なら、ボンッ、キュッ、ボンッみたいな体型に憧れる…。

そもそも。

人間は胴に手が2本、足が2本、そして頭がくっついた、
いわゆる「人型」をしています。

人が「犬型」をしていたらおかしいです。
ていうか、それは犬です。

人の姿格好をしているから、
人は人だと認められて、社会にもそう認知されます。

人の格好であれど、
そこに多少の差異が認められる…。

人に尻尾が生えてたり、羽が生えていたり、
猫耳がついてたり、触覚が伸びていたりしたら、
そりゃビックリですが、
そんな人は多分世の中にいないわけです。

念のため、私にも尻尾はないです。

つまり。

髪型がちょっとアレだったりといったことを
いちいち指摘してどうだというのは、
ちっちゃい問題じゃないかということです。

人間じゃないですか。

そうはいっても、
人間の心というのは理性でコントロールできない部分があり、
サリーちゃんパパ並みにバシバシ跳ねてる髪をみて、
「不精なやつめ」
とインスピレーションされてしまうのは仕方ないのですが。

そこは、理性で、
人間にもいろいろいるんだ、と思ってもらえると、
こちらとしてもちょっと気が軽くなるわけです。

ていうか、気にしないで欲しいのです。

これが我が人生。

髪型は治外法権ですよ?


…などと理屈をこねてみても、
「ヒドイ髪だ」とか、
「ちゃんとケアしてないのか」とか、
「不精なのは髪だけじゃないな」とか、
「きっと生活不摂生だろ?」
などと思われるのが世の理という無常。
(半分当たってますが…)


はぁ、この時期家から出たくない…(コレがいいたかった)

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