February 09, 2010

信用とか信頼とか

政府もコケて、JALもコケて、トヨタもコケて、
日本終了のお知らせ?

日本って、やっぱりいっぺん倒れないと
本気を出さない国なのかもしれないなぁ。

JALの体制も何とか形が見えてきて落ち着こうかというときに、
今度はトヨタがえらいことになるとか、仕組まれてるんじゃないか
とさえ思ってしまったり。

最近、“安全神話”というようなものがなくなりつつありますね。

てか、もともと絶対安全なんてものはなかったんだけど、
そうは言っても、何か一定の信頼が置ける対象というのは
世の中にいくつかは必要なものです。

特に、神様がいなくなって久しい日本にとってはね。

それが、絶対倒産なんかしないだろうと思われていた会社が
次々と倒産するし、今もその危機に瀕している。

この間も、東海道新幹線で、死亡事故ゼロ(飛び込み除く)
の神話が崩れかねないような事故が起こってましたね。

とある病院では、診療報酬をがめる為にいらん検査をしたり、
院長が未熟な人に難しい手術押し付けたりしてたとか。
病院にあって患者は医者を信じるしかないのであって、
そこで信頼が崩れたら不安どころの話じゃないですよ。

そして、何といっても一番信用ならんのが、
一番信用されなければならない政府である、というのがね。

政治家が信用できないのは今に始まったことじゃないけど、
それにしても、今の政権はちょっとどうにかした方が。

閣僚のいってることがみんな違う。ホントにひとつの政府か。
昔と違う主張を平然といえる神経。議員バッジ外すんじゃないの?
毎月1500万円お小遣い貰っといて「知らなかった」わけない。
何であの黒幕が捕まらないのか。誰がどうみたって。。。
そして、ムネオがときどきしゃしゃり出てくる理由もわからん。

何より、一国の首相の言葉が軽過ぎです。

あの人、口を開けば「一番大事なことは」とか「最も重要なのは」
みたいなことを度々いってます。

その“一番大事なこと”というのが毎度違うんですが、
一体彼にとって“一番大事なこと”って何なんだろうか。

直近の発言だと、北方領土問題の解決が最も大事らしい。
(→ 鳩山首相「最も果たしたい思いは北方領土問題解決」 [asahi.com])

今にして思えば、あのオバマさんに対して言ったという
「私を信じて」という言葉が、彼の信用度を端的に表してるよなぁ。
言葉が軽いというか、場当たり的過ぎます。


って、また政治ネタになってしまった。
(実は、しばらく黙ってようと思ってたんですが。。)

いや、まぁ、今まで信頼の置けていたものが信頼できなくなる
(政治は、もともと信用ならないものがさらに信用できなくなる)
そのいろいろなものの信頼性というのが、
最近あちこちでガラガラと崩れてるような気がするなぁ、てことで。


とりあえず、DQ6は面白い。

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生命宇宙の世界(12)

久々に、こんばんは。

今回は“生命宇宙”という、およその概念について。

その前に、まず理解しておくべきことですが、
宇宙の謎を解明しようとする、というそれ自体
宇宙の法則に包含されているということ。

宇宙という器の中で宇宙自体のことを全て語ることはできず、
実はそのことを誰しも知っているはずです。
少なくとも科学者、或いは哲学者などは理解しているでしょう。

宇宙というような途方もないスケールで理解できなければ、
普通に、自分自身の意識ということで、
その理解できる範囲を考えてみればわかると思います。

結局、それは自分の認識という域を出ていない。

このことは、物理的な宇宙空間のことだけでなく、
抽象的な宇宙全ての概念も含んで、宇宙というそれ自体のうちのもの
だということをまず知って置く必要があるだろうということです。

とはいえ、そんな宇宙の、さらには物理現象世界という檻に
閉じ込められた我々にも、ある種の想像の中では無限定で自由である
という希望があるだろうと思います。

精神世界、抽象世界であれば宇宙を客観的にみられるかもしれない。

しかし、実はその概念すらも宇宙の一部であり、
さらにいえば、一個の人間という生物の周辺に発生している過ぎない
自然現象の一部である、と。

なんと知的に無力だろうか、と感じられるかもしれませんが、
実際、我々人間という生物の持つ知性の範囲は、我々人間に限っていえば
ほぼ無限といって良い可能性があるでしょう。


さて、閑話休題。

上に投げた石が下に落ちるのはなぜでしょう?

それは、地球に重力があり、石はそれに引かれて落ちるからだ。

それも一つの心理でしょう。

大人なら勿論、ちょっと理科の勉強をした小中学生程度に聞いても、
その程度の答えを返してくれると思います。

では、そういった前提知識を何も持っていない子ども、
例えば赤ん坊に同じ質問をしたら、何と答えるでしょうか。

この際、赤ん坊が言葉を理解できるかどうかは無視します。

とにかく、石を上に投げて下に落ちる、という現象を見たとき、
何も知らない赤ちゃんは、その現象についてどう感じるか。

「石が落ちたがっているからさ」

とあるテレビ番組の中で、アインシュタインの問いに
子どもがそう答えた、というくだりがあったのですが、
これはこれで真理を得ているのではないかと思ってしまった。

要は、特に何も考えなくても出てくる答え。
実はそういうものの中に、的を得ている何かがあるのではないか。

おそらく、最終的な宇宙の真理などというものがあるなら、
それは誰でも殆ど説明不要で理解できるものでしょう、と。

そうしたいから、そうする。そうなりたいから、そうなる。

そういう自我に内在した欲求を発露することが、
あらゆる現象の動機となり原動力となっているのではないか。

これは、生命の根本的な存在理由となり得るもので、
そこに発現する全てのものに、ある種の意味を与えるものです。

生命が生きること自体に意味はない。
また、それが存続しなければならない理由もない。
そもそも、この宇宙が存在する意味も理由もない。

ただ、そのような欲求があるだけだろうということ。

これは、いわゆる生物だけが持つ性質ではないのではないか。
その欲求の概念の拡張が“生命宇宙”のひとつの側面でもあります。

但し、宇宙に人格的な意思なり精神があるというわけではなく、
いわゆる宗教的な“神”の存在を肯定するものではありません。

ただ、人や生物は、宇宙の性質の一部を表現している片鱗であり、
宇宙のフラクタル的構造の中で、その外縁である宇宙というのは
人や生物を拡大した存在であるということもできるかもしれない。

その意味では“神”と等価であるかもしれませんが、
それは人が人に求めるような感情や善悪などはないということ。

そもそも、人が存在しているということ自体曖昧な事象で、
人間社会が確固たる現実であるという証拠は何もありません。
この世界をこのように見ているのは、最終的には自身の認識です。


 精神とは全てにして一なるもの。
 時空を必要としない精神がそこにはある。


これはオーストラリア原住民の間に語られている土着信仰ですが
ここでいう“精神”というのが“生命”それ自体ではないか。

オーストラリアに限らず、あらゆる国や地方で古来から語られる
このような伝承や信仰というのは、往々にして似たような内容で
そこに具体的な人格神はなく、形のはっきりしない、
何か元素のような精神的なものを崇拝するような傾向があります。

面白いですね。

近代の宗教は、まず何か偉大な人格神をつくり上げ、
人はその神様を崇め、頼り、無償の救いを求めたりもします。
つまり、今の殆どの宗教は、人の心の救いを求めるところに
その存在意義があるといえるでしょう。

それに対して、古代の人は特に何か救いを求めたりしておらず、
どちらかといえば、自然とはこうあるのだ、というような内容で、
だからこそ、真っ直ぐ自然を見つめたものが伝えられている。
そんな気がします。

そして、その域に人が達することは到底できない、
という謙虚さもあり、それは、人が宇宙というものの一部に過ぎず
物理的にも、精神的にも、その内側のわずかな部分しか
我々の目に触れることはないということを悟ったものかもしれない。

ただ、逆転の発想で、我々がその宇宙の一部であるならば、
それは全体を引っ張り出せる緒にもなるのではないか、と考えて
そこに突っ込んでみようかな、というのが“生命宇宙論”なのです。

あくまで「みようかな」。


見方を変えるだけで、別の側面が見えてくるということは、
これまでの科学史の中にも多くありました。

アインシュタインの「相対性理論」などはその典型で、
時間も空間も絶対的なものではない、と考えるだけで、
あらゆる物理現象をより柔軟に見ることができるようになった。

重力と、加速度による慣性力は、実は同じもので
見え方の違いは、足場をどちらに置くかの違いだけだったりする。
こうして何か固定した観念を取り除くことで見えてくるものがある。

同じようなことが、この宇宙(という現象)の中には
まだ多くあると思うし、みんな同じように考えてるでしょう。

ただ、その固定した観念というのがなかなか頑固で
一旦それが偏見や常識として身につくと、強力なフィルタとして
我々の本来の認識を遮断してしまいます。


実は見えていて、見えないもの。
それを見つけることが、謎に迫るポイントのひとつとなるでしょう。

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February 05, 2010

車検なんだけど

どうするか。

辛うじてまだ13年にはなってなかったようだけど、
もうそのレベルで古い車で、しかも最近ほとんど乗ってないし、
乗る機会もそうないしで、どうするか悩ましい。

思い切ってエコカーに買い換えるか!とも思うけど、
実は、今の生活に車ってあまり必要じゃないんですよね。

まぁそう切実に生活を圧迫してるわけではないにしろ
それにしても、車検に税金に保険料に駐車場代もあり、
走れば当然燃料代もかかるわけで、バカにならない。

といって、何か用途があるかといえば、通勤は電車だし、
特にドライブが好きというわけでもないし、買い物とかも
近所の店で大抵は事足りるし。

以前は、何か大きな、或いは大量の買い物をするときに
車を出してたりしてたんだけど、持ち帰りにこだわらなければ
大抵宅配してもらえるし、通販でも十分だったりもする。

こうなると、あとは本当に趣味でしかなくなってる感じ。

車に乗り続けるにしろ、やっぱり何かと優遇のある
エコカーに乗り換える方が、今後はお得なんですかね。

ただ、例えば200万円で新しい車を買ったとして、
その優遇やら割引やら燃費やらを差し引いたとしても
今の車に乗り続けたときと比較すると
ペイできるのは、実は頑張っても10年後くらいなんですよね。

とりあえず、13年に突入するまで現状維持かな。
その後で、新車にするか廃車にするか考えよう。


ところで、プリウスのブレーキが問題になってるようで
それで知ったんだけど、ブレーキも電子制御なんですね。
ABSが入った時点で既に電子制御になるのか。

やっぱり、車はあんまり詳しくない。

そうなると、ブレーキにすらソフトウェア的なバグが
入り込む余地があるってことなんですね。

プリウスの場合、回生ブレーキ(充電に振り向けられる)と
普通の摩擦ブレーキの割合を自動制御してるとか。
そこにバグがあると、ブレーキが効かなかったりする
ってことも、まぁあるんでしょうね。

私としては、トランスミッションはともかく、
ブレーキくらいはダイレクトに操作できないと不安だなぁ。

  ブレーキ実行中に深刻なエラーが発生しました。
  保存していないあなたの命は失われます。

とか、赤罰マークでメッセージ出たりして。
(まぁ、そりゃないだろうけど)


やっぱり、今の古い車でもいっか、とか思えてきた。

いや、バッテリーが死んでるんだけどネッ!

ああ、そうだ。バッテリーを通販で買ったは良いけど
それ1月中に届くはずが、2月中旬とかに延ばされてしまった。

車検は13日なんですが、どうすればいいですか。

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